実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『北京陳情村の人々(上訪)』(趙亮)[C2009-23]

遅めに出京し、ジョムマカンと同じ銀座ファイブにあるタイ料理のティーヌンで昼ごはんを食べる。このビルは、上はしょぼいけれど、地下はエスニック料理店がいろいろ入っていて使える。

今日の1本めは、特別招待作品で趙亮(チャオ・リャン)監督の『北京陳情村の人々』。地方政府とのトラブルを中央政府に陳情するため、最高人民法院人民來訪接待室に陳情に来た人々を、1996年から10年以上追ったドキュメンタリー。解決までに時間がかかるため、陳情に来た人々が接訪室の近くに住みついているところが上訪村(陳情村)と呼ばれている。

ここに陳情に来ても簡単に対応してもらえるわけではなく、何度も追い返されたり、場合によっては逮捕されたり精神病院に入れられたりする。さらに、陳情が多い地方は減点されるし、陳情が聞き入れられれば自分たちが処分されるため、地方政府が刺客を送り、陳情させないように邪魔をしているのだという。『血斗竜門の宿(龍門客棧)』[C1967-22]を思い出させるような話で、不謹慎だがフィクションのアクション映画にしたらおもしろそう。

それ以上に興味深いのは、そのような目に遭いながらも、10年以上も陳情を続ける人々である。何が彼らをそうさせるのか。正義感とか不屈の精神とか呼ぶこともできようが、そういったものに収まりきらない異様なパワーを感じる。よくないたとえかもしれないが、ダイエットにはまって拒食症になるのと似ているような気がする。陳情書を手書きでせっせと書き直している人々を見ながら、もう少しどうにかやりようがあるのではないかとも思う。映画は、娘(来たときは義務教育の年齢だった)といっしょに陳情を続ける母親を中心に据えて描いていくが、人権蹂躙などと訴えながら、明らかに別の人権蹂躙を生み出してもいる。

全体を通して見えてくるのは、政府への怒りや人民のパワーよりも、巨大な無駄と徒労の集積である。無限に繰り返されるとてつもない無駄はなにものをも生み出さず、どこにも行き場のない徒労感が映画を覆っている。こういう映画を観ると、鬼の首を取ったみたいに「だから中国は…」と言う人がよくいるけれど、程度の差こそあれ、こういうことはどこでも起きていて、似たような無駄が積み重ねられていると思う。問題が大きくなると、突然解決に乗り出したり、見せしめ的に関係者が処分されたりするのは、年金問題などを見てもわかる。

10年以上、陳情者を撮り続けてきた監督の苦労は相当なものであると思うし、撮影禁止の接訪室附近で隠し撮りをしているだけでもすごいことである。しかし、一本の映画としてのまとめかたはどうも中途半端なように思われる。上述の母子にフォーカスするなら、もっと徹底的にしてもよかったのではないだろうか。また、上訪村を去る娘から母親への手紙を託されたりして、監督が中途半端に彼らに介入している点も気になった。

上訪村があった場所は北京南站の近く。映画のなかで北京南站は北京オリンピックのために建て替えられるが、前の建物のほうがずっとよく、行っていないのが悔やまれる。最高人民法院人民來訪接待室も北京南站のすぐ近くにあったが、つい最近、朝陽區に人民來訪接待室和申訴立案大廳が新築されて引っ越したようだ。


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