実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『息もできない(똥파리)』(梁益準)[C2008-31]

16時半ごろから天龍で餃子を食べてビールを飲む。2本めは東京フィルメックスに戻り、コンペティションの梁益準(ヤン・イクチュン)監督『息もできない』。父親の暴力がトラウマとなり、暴力的な人間になっているヤクザのサンフン(梁益準)と、やはり家庭に問題を抱える女子高生ヨニ(キム・コッピ)を中心に、家庭内暴力、暴力によるトラウマと暴力の連鎖、被害者たちの再生、家族のありかたなどを描いたもの。暴力シーンと汚い言葉が、息もできないほどたたみかけてくるパワフルな映画である。

似たような境遇にあるサンフンとヨニは、街で偶然知りあって親しくなっていくが、ふたりは自分の境遇や悩みを相手に話すことはない。彼らの境遇は観客だけに知らされている。ふたりの出会いは偶然だが、実は過去に因縁があり、別の偶然でヨニの兄(弟と言っていた気もするけど、高卒の男の同級生なら兄ではないのか?)ヨンジェ(イ・ファン)がサンフンと一緒に働くことになることで、新たな因縁が生まれる。しかしサンフンはヨニとヨンジェの関係を知らないし、ヨニもヨンジェとサンフンの関係を知らない。

この映画のひとつのクライマックスは、夜の漢江のほとりで、サンフンとヨニが静かに泣くシーン。他のシーンがダイナミックなぶん、この長い静のシーンが生きている。こうしてヨニとつきあううちに、サンフンは自分のトラウマと向き合い、父親を許して関係を修復し、ヤクザな仕事から足を洗おうと考えるようになる。しかし映画においては、「殺し屋は最後の仕事で必ず殺される」というルールがある。もちろんこの映画も例外ではない。

映画は、ヨニやサンフンの家族や友人がサンフンの死の悲しみから立ち直るところを省略して、立ち直った彼らが新たな疑似家族のようなものを形成していくさまを描いて終わる。一方で希望のようなものを見せながらも、ヨニはこれから、彼女とサンフンとヨンジェのあいだの、過去から現在に至るまでの因縁を知り、それに立ち向かい、乗り越えていかなければならない。

サンフンを演じた梁益準の存在感が圧倒的。亀田三兄弟みたいに見るからにチンピラ顔で、とても監督には見えない(このあとのQ&Aをサボって帰ってしまったので、ナマ梁益準にはお目にかかれなかったが、写真で見た感じでは眼鏡をかけていてかなり雰囲気が違っていた)。すべての台詞の最後に同じ汚い言葉がついていて(字幕では「クソ野郎」だったか?)、観ているあいだは憶えていたけれど、終わったら忘れてしまった。

ヨニを演じたキム・コッピは、顔自体はそんなにかわいいわけではないし、スタイルもいまひとつだが、サンフンの暴力にも暴言にもびくともしないヨニの、強い少女キャラクターがすごく魅力的。平気で汚い言葉を言ったり、サンフンを罵倒したりしても、強い雰囲気が前面に出ていて嫌な感じにならない。そのイメージに反して、制服の上に着ているピンクのカーディガンがかわいいのもいい。

ヨンジェをサンフンの会社に誘う新入社員の友人もおもしろかった。顔はどうみてもお笑い芸人なのに、全く容赦のない借金取り立てで好成績を上げ続ける。その顔と態度のギャップ、さらにはおそろしく趣味の悪い派手な服とのミスマッチが最高。

DVを扱った映画や小説が増えているが、実際にDVの件数自体が増えているのかどうかはわからない。ただ、限度を超えたもの、事件に発展するものの数は増えているのではないかと思う。DV自体もおそろしいが、サンフンのように被害者がやがて加害者になったり、サンフンの姉のように(ヨニもそうかもしれない)なぜかまたそういう男とくっついてしまったりして、暴力が繰り返されていくのがおそろしい。この映画はそれをどう断ち切っていくのかというところが描かれていて興味深かった。このような暴力の連鎖は、家庭のような小さな単位から、国家間や宗教間のような規模の大きな単位まで、今や世界中のいろんなところで起きている。家庭内暴力が自分とは無関係に見えても、それは実は世界の縮図なのかもしれない。

Q&Aのゲストは梁益準監督とヨンジェ役のイ・ファンだったようだが、夜遅いので参加せずに帰った。