実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『母なる証明(마더)』(奉俊昊)[C2009-20]

『意外』のチケットが取れなかったので(当日券を狙うほどの熱意はない)、昼間はフィルメックスはお休み。今日は韓国映画デーということにして、シネスイッチ銀座で奉俊昊(ポン・ジュノ)監督の『母なる証明』を観る。

母親が知的障害のある息子の無実の罪をはらそうとする物語で、主演の金惠子(キム・ヘジャ)は「韓国の三益愛子」みたいな位置づけの母もの女優らしい。もちろん奉俊昊なので、めでたく無実を証明して母の偉大さを讃えたりする映画ではない。誰が真犯人であるかを追うミステリーでもない。

ほんとうに息子のトジュン(元斌/ウォンビン)は犯人ではないのか、誰が関係しているのかいないのか、何もさだかではないまま、母の愛だけが確かとでもいうべき雰囲気のなかで物語は進行する。観客に母親を応援するように仕向けておいて、もちろん映画はそれを裏切る。母親が記憶を消しても、トジュンはいつか事件を思い出すだろう。そのとき何が起きるのか。限りない不安を残したまま映画は終わり、田舎町のどよんとした空気が重く心にのしかかる。

狂気をはらんだような母親の行動は、タイプはかなり違うけれども『女の中にいる他人[C1966-03]新珠三千代を連想させた。

この映画でいちばん興味深かったのは、被害者も容疑をかけられる人たちも、みな社会的弱者だということである。知的障害のある青年、米で身を売らなければならないほど貧しい女子高生、廃品回収をして暮らす一人暮らしの老人、ダウン症(?)で施設に入れられている少年。途中で容疑者が変わったり、容疑者が被害者になったりするのだけれども、結局すべて、弱者のあいだで回り持ちみたいになっている。貧困や知的障害者が絡む事件は日本でもたくさん起きているが、そういった事件の裏にある社会の闇を垣間見たような気がする。

また、田舎で事件が起きることのリアリティも感じた。日本や韓国は国土が狭く、わりと情報が均一的というか、都会でも田舎でも、殺人事件が起きたら同じように大きく報道される。だから事件と関係のない一市民は、同じように受け止めてしまうし、同じような捜査(それはたいていテレビの刑事ものなどで見た、都会の警察の捜査だ)が行われているように思いこむ。しかし、よほど近所でなければ関心を呼ばない都会の事件と違って、田舎では被害者も顔見知り、容疑者も顔見知りだったりする。いろんな噂がささやかれ、人々の関心を呼び、日々話題にもなるだろう。捜査の成り行きが、人間関係に影響を与えることもある。そして冷静に考えれば、凶悪犯罪が滅多に起きない田舎の警察で、都会と同様の冴えた捜査が行われるはずはない。

ところで、(ほかの映画でも見ているかもしれないが)ヘンタイ電話を作っている女子高生のあまりのブスさに衝撃を受けた。彼女は、ちびまる子ちゃんに出てくる前田さんにそっくりだと思う。

貸切バスの中で踊るおばさんたちも衝撃だった。チラシに「衝撃のラスト」と書いてあるけれど、まさかこのことじゃないよね。