東芝ビルのチャオタイで昼ごはんを食べようと思っていたら、なくなっていて愕然とする。時間もなくてあせったが、銀座ファイブにジョムマカンというマレーシア料理店ができているのを発見。ナシ・アヤム(海南鶏飯)を食べる。ここは使えそう。
今日の2本めは、同じくジャン=ピエール・メルヴィル特集で、今回の目玉のひとつでもある『ギャング』。1月に米国版DVDを観てはいるが、スクリーンでは21年ぶりの再見となる。
美しいモノクロ映像、寡黙な男たち、そしてリノ・ヴァンチュラ。クールだ。リノ・ヴァンチュラのような中年俳優(もう少し年配に見えるが、彼はこのとき40代後半なので、中年と呼ぶのはちょいと失礼だが)は、どこを探してもいない気がする。21世紀のリノ・ヴァンチュラだとか、日本のリノ・ヴァンチュラだとか、香港のリノ・ヴァンチュラだとかを見繕おうとしても難しい。それだけ彼は独自の存在感をもっている。最初の脱獄シーンで、塀を飛び移ったり、列車に飛び乗ったりするのがかなりいっぱいいっぱいな感じが描かれているが、それでもやっぱり超かっこいい。
まともなギャングたちはみな一匹狼である。組んで仕事はするが、基本はひとり。しかし、やった仕事に基づく敬意があり、信頼があり、友情もある。熱い友情と裏切りのドラマや、センチメンタルな台詞や、ホモソーシャルな絆を表す熱い視線は希薄だが、ギュ(リノ・ヴァンチュラ)は自分の信頼を守るために命を賭ける。クールだ。
男たちはとにかく寡黙である。それは自分の身を守るためでもあるのだが、余計なことは言わないし、聞かない。たとえば最初の脱獄シーン。脱獄を試みた三人が、もともと知りあいなのか、刑務所で知りあったのか、どの程度のつきあいだったのか、それは全くわからないが、一人が脱落してもセンチメンタルな台詞はない。残った二人は黙って列車に乗り、一人はギュに煙草を渡し、さよならも言わずに去っていく。飛び降りたあと、ちょっと手を挙げて挨拶するだけだ。彼がその後どうなったかが、後半刑事の口から語られると、このクールな別れのシーンが切なく思い出される。しかし映画は、そんな感傷にひたる暇を与えない。
余計な説明なしに、淡々と映画は進行していく。それは無駄がないのと同時に、おそらく長い小説を映画に収めるためのやむを得ない選択でもあると思われ、たしかにわかりにくいとは思う。たとえば冒頭、マルセイユのポールの店からパリへ出発する男の顔(ほとんど写らない)と台詞を憶えていて、マヌーシュの店を襲ったギャングの顔(一瞬しか写らない)と照合できる観客がどのくらいいるのか。しかし、わかりにくいぶん、観るたびに発見があっていろいろ感心する(ただし忘れないうちに繰り返し観る必要がある→求む日本版DVD)。
後半のプラチナ強奪シーンを観ていて、杜蒞峰(ジョニー・トー)の『エグザイル/絆(放・逐)』[C2006-41]を思い出した。あの金塊強奪シーンのイメージはこれだな、と。なぜ金塊かというのも。『エグザイル/絆』を観直したくなった。
この映画には音楽がほとんどなくて、エンディングクレジットの最初のほうに中途半端に短い音楽がついているが、これが『マンハッタンの二人の男(Deux Hommes dans Manhattan)』[C1958-08]の音楽にえらく似ている。
ところで、日本語字幕がもう悪態をつきたいほどひどかった。あれは以前に公開されたときのものなのだろうか。とにかく推敲も校正もしていないような字幕。ポールはジョーの兄になったり弟になったりするし、字幕の意味がわからなくて映像を観る暇がないところもたくさんあった。このままでのDVD化は勘弁してほしいので、ぜひ新しい字幕をつけてDVDリリースをお願いします。