楽天ブックスやアマゾンで、わたしが時々検索してみる用語に、「動くな、死ね、甦れ」、「ひとりで生きる」、「カネフスキー」などがある。これまでのところ、DVD化される気配はぜんぜんないのだが、かなり唐突に(わたしにはそのように思われた)「ヴィタリー・カネフスキー特集上映」がユーロスペースで開催されることになり、先週からすでにはじまっている(この機会にDVD化されることを切に望みます)。そこで、劇映画二作品を14年ぶりに再見するため渋谷へ。昼ごはんはセガフレードで軽く済ます。
まず1本めは『動くな、死ね、甦れ!』。チラシに蓮實先生のコメントが載っているため、シネフィルの方々で混みあっているようだが、アジア映画好きの方々には動きがない。関係ないと思っておられるかもしれないが、舞台となっている街の名前がスーチャンと聞けば、そうも言っていられないだろう。スーチャンといってもキャンディーズではない。蘇城である。1972年に沿海地方から中国語地名が一掃され(なんでそんなつまんないことするんだ?)、現在はパルチザンスク。言うまでもないが、極東ロシアはアジアである。アジア映画好きのみなさんも、ぜひともチェックされるようお勧めします。
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舞台は第二次世界大戦直後、強制収容所と炭鉱の街、スーチャン(ウラジオストクも登場)。大戦の傷痕(足の悪い/ない男たち)、スターリン崇拝、囚人や日本人抑留者、狂人、自分が生きることに精いっぱいの大人たち。ワイルドすぎる彼らの生きざまを強烈に見せつけながら、そのなかでやはりワイルドに生きざるを得ない子供たちを生々しく描いている。
主人公のワレルカは、無邪気とはいいがたい悪戯を繰り返すうち、次第に深刻な事態に巻き込まれ、犯罪に関わり、死に直面する。彼を時代や社会の犠牲者ということもできるだろうが、同情すべきかわいそうな存在というより、子供が本来身につけていると思われる邪悪さに満ちた、善悪の彼岸ともいうべき存在である。ワレルカに寄り添う少女、ガリーヤは、ワレルカよりも大人で何でも知っている、彼を導き、守る存在。しかしワレルカはそんなに簡単に守られて生きていくわけにはいかないから、彼がやがてひとりで生きていくために、ガリーヤは死ななければならない。
主人公、ワレルカが体験する出来事は、極力説明を排して断片的に淡々と描かれる。これはおそらく、監督自身がかつて体験したことを体験したまま、その衝撃やわけのわからなさとともに、解釈を加えることなくそのまま再現しようとしているのだと思われる。だからといってワレルカの心情に寄り添っているわけではなく、常に一定の距離が保たれている。
ワレルカ役のパーヴェル・ナザーロフの存在感は強烈で、この映画に大きく貢献している。決して表情が豊かというわけではないにもかかわらず、実に様々な側面を見せる。時にうすのろかと思われるほど子供っぽく、時に邪悪でワルっぽく、時にかわいらしい。ガリーヤ役のディナーラ・ドルカーロワも、かわいいというわけではないが、憶えやすくて印象的な顔だち。
かっこよさとも美しさとも無縁の内容ながら、モノクロの画面はすべてのショットがかっこよくて美しい。また、この映画で印象的なのは音楽。ワレルカや近所の男たち、日本人抑留者、収容所の囚人などの歌う歌は、映画を彩っているといったレベルではなく、映画の主要な構成要素となっている。日本人が歌っているのは、よさこい節(『南国土佐を後にして』と書いている方が何人かいらっしゃいますが…)、炭坑節、五木の子守歌。民謡なのは、カネフスキーの好みなのか、実際にそうだったからなのか、歌っている人(ワタナベさん?)の持ち歌なのか。個人的には、歌謡曲だったらもっとグッとくると思う。ワレルカや近所の男が歌う歌は、たぶんけっこうメロディアスな曲だと思うけれど、音痴気味にがなっているため美しさはない。とても美しい主題音楽と、囚人が歌っていると思われる歌が印象的。
最初と中間(スケート靴を取り返すところ)と最後に、なにが現実でなにがつくりものなのかわからなくさせるようなシーンがあるのも興味深い。