バンガロールに来ちゃったの

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『ミーポック・マン(Mee Pok Man)』(Eric Khoo)[C1995-62]

シネマート六本木では、先週末からシンガポール映画祭(公式)が始まった。この映画館、場所や雰囲気は正直あまり好きではないが、いい企画を次から次へとやってくれる。今回の映画祭は、新作ではなく過去に映画祭等で上映されたものがほとんどだが、それでも一挙に9プログラム。ぜったいに逃すべきではない機会である。

わたしが今までに観たシンガポール映画は11本(ちょこっと資本が入ってる、というのは除く)。そのうちの4本が今回上映され、うち3本を再見する予定。今日はその一本で、邱金海(エリック・クー)監督の長編デビュー作、『ミーポック・マン(薄麵佬)』。わたしが邱金海の映画、そしてシンガポール映画とはじめて出会った記念すべき作品であり、以後、邱金海作品をフォローし、シンガポール映画をできるかぎり観るきっかけとなった作品。13年ぶりの再会。17時からと早かったが、仕事を投げうっても行かないわけにはいかない。

『ミーポック・マン』の主人公は、コーヒーショップの屋台(たぶん)でミーポックを売っている無口な青年(ジョー・ン)と、家族を養うために娼婦をしているバニー(ミシェル・ゴー)。社会の底辺に近いところで生きる男女の愛、孤独、家族、才能、外の世界への憧れ、現実に対する諦念などを描くなかに、シンガポール社会の影の部分が垣間見える映画である。

途中から登場するバニーの日記の使い方がいい。バニーが交通事故に遭って活動できなくなると、弟が盗み見るというかたちで彼女の日記が登場し、彼女自身の代わりに彼女の思いを語っていく。最初は最近の彼女の生活や思いが中心だが、だんだん時間を遡り、青年と同級生だった小学校時代の日記になる。最後の引用が特に衝撃的。この物語は「もっと努力して立派な人になりたい」と思った少女のなれの果てなのだ。このあたりにシンガポール社会の歪みを感じないわけにはいかないが、この人生の結末は、もしかしたらそれほど悲惨というわけではないのかもしれない。

この日記でもうひとつ興味深いのは言語である。おそらくシンガポールの日常をそのまま反映していると思われるが、登場人物たちが話しているのは、華語(北京語)、広東語、福建語、英語(シングリッシュ)等をミックスしたことばである。しかもその構成言語や使用比率は人によって異なり、そのうえ早口なのでほとんど何を言っているのかわからない。一方、日記は中文で書かれている。日記というのは比較的話しことばに近い書きことばともいえるが、時おり画面に映る日記は一面に漢字が並び、英単語等が混じることはない。そして華語による日記の朗読は、非常にクリアでわかりやすい。この話しことばと書きことばの対比が印象的。

この映画が終わったあと、物語がどうなるのかはわからないが、事件が明るみに出れば、猟奇的な事件として世間を騒がすことになるだろう。猟奇的な事件が起こるといつも、加害者を非難するのが正義だと勘違いしている人(あるいは単に興味津々なのを隠すためかもしれない)がたくさん現れるてうんざりするが、わたしは時々、もしかして加害者と被害者のあいだに誰も知らないドラマがあったかもしれないと考える。この作品は、そういうドラマを映画化しているという点でも興味深いと思う。

残念なのは、主演のジョー・ン。ミュージシャンだということで、プロの俳優ではないからか、ちょっと演技に問題があると思う。この青年は、最初はうすのろに見えるけれども、内気なだけでほんとうはうすのろではなく、バニーを得ることで言動も顔つきもだんだんと変わっていく。だから「うすのろではないがうすのろに見える」人を演じなければいけないのに、うすのろを演じようとしているようにみえる。ちょっとした表情などから「この青年はほんとうはうすのろではないんだな」と思わせないといけないのに、「この俳優はほんとうはうすのろではないが、うすのろを演じているな」と見えてしまう。

一方、バニーの稼ぎを徴収するヤクザのおじさんが超かっこいい。このおじさんは、バニーにちょっと特別な思い入れがあるらしいが、彼女が稼いでいるあいだ賭け事をしたり、コーヒーショップで待っていたりする。その黙って動かないショットの、顔の存在感がすごい。ちょいとカウリスマキ映画みたいだ。かっこいい。

それから、バニーが住んでいる団地の外観が何度か映るが、縦に突き出た物干し竿の、色とりどりの洗濯物が超かわいい。シンガポールといえば思い浮かべる風景のひとつがこれ。香港にもあると思うが、あまり街中では見かけない。シンガポールは、中華街のまわりなど観光エリアにも団地があるのでよく見かける。小うるさいシンガポール政府も、外に洗濯物を干すと罰金とか、物干し竿を縦に突き出すと罰金とか、けったいな法律を作らないでいてくれてありがたい。

この作品は、シンガポール映画にとって記念碑的な作品だと思うのに、今回の上映は平日に2回だけなのがとても残念。楽しい映画ではないかもしれないが、もっと多くの人に観てほしい。それに邱金海。もういいかげん、日本でちゃんと紹介されていい監督だと思う。今回の映画祭がそのきっかけになってくれることを切に願う。