実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『台湾人生』(酒井充子)[C2008-26]

café vivement dimancheで昼ごはんを食べて出京。ポレポレ東中野ドキュメンタリー映画『台湾人生』を観る。NHKの『ジャパンデビュー』(観ていないのでこれについてはコメントできない)を攻撃しているウヨクな人々が、「この映画はOK」みたいなことを言っているようなので(よくは知らないが)、ちょっと警戒して観たのだが、そういう意味では特に問題がある内容ではなかった。少なくとも、観た人がノウテンキに「台湾人は親日だ」と結論づけるような内容にはなっていなかった。たとえば一回台湾へ行き、老人に日本語で日本統治時代の思い出などをにこやかに語られ、親切にされた結果、「台湾人は親日だ」と思って帰ってきた人が、実情はそれほど単純なものではないと気づく程度のものにはなっていたと思う。

しかしながら、この映画を観て、このような問題をめぐる論点のひとつがはっきりした。それは、この映画に出てくるような台湾人(本省人および原住民)の声は、「日本統治時代を経験したある世代の声」としては比較的よく聞かれるものであっても、「日本統治時代を経験した人々の声」を代表するものではいささかもない、ということである。それでは彼らはどういう世代なのか。台湾が日本の植民地であるという事実が内外ともにすっかり定着した時期に生まれ、皇民化教育を受けた世代である。すなわち、植民地あるいは外地と呼ばれるところではあっても、台湾が日本の一部であること、自分が日本人であるということを自明のことと認識して育った世代である。もっと上の世代であれば当然異なった意識をもっているはずであるが、しばしば日本では、そのあたりが(時には故意に)混同されているように思う。このような映画を観る際には、このことをきちんと念頭に置いておく必要がある。

そのように考えたとき、彼らとわたしたちの視点がどうしてずれてしまうのか、ということも、ある程度わかってくるように思う。わたしたちが日本の台湾統治のことを考えるときは、その全体をひとまとめにして考える。だから、その出発点かつ最大の問題点として「台湾を植民地化した」という事実がまずはある。しかしながら、彼らにとってはそれは過去であり、既成事実である。問題はあくまで彼らが生きて体験した時代にある。だから、「そもそも日本人ではなかったのに…」というのと、「日本人だったのになぜ…」というふうにすれ違ってしまうのだと思う。

わたしが以前から疑問に思ってきた「感謝か謝罪か」という問題も、このことからある程度説明できるように思う。かつて日本人として戦争にかりだされた台湾人に対して日本政府がすべきことは、わたしは謝罪である思う。しかし彼らの多くは、「ご苦労さま」とか「ありがとう」とか感謝してほしいと言う。それがわたしには不思議だったが、日本に対して帰属意識をもっているということが、おそらくひとつのポイントなのだろう。また、映画の中でも「愛国心を叩き込まれて盲目的に信じていた」と言っていたが、「お国のために役に立つ」というのをいいことととらえるかどうか、というのが、おそらくもうひとつのポイントである。思うに、謝罪には「他者に悪いことをさせてしまった」というニュアンスが、感謝には「仲間にいいことをしてもらった」というニュアンスがあるように思う。この映画を観ていて、なんとなくそのへんがすっきりしたような気がする。

さて、彼らの声はある世代の声であると書いたが、その世代を代表する声かどうかはわからない、ということもまた念頭に置いておく必要がある。今回インタビューされている台湾人は5人。その5人がどういう人なのかを簡単に書き出してみる。

  • 蕭錦文さん:日本兵としてビルマに行き、戦後は二二八事件で捕まったが、いずれも命拾いした。しかし、白色テロで弟を殺される。現在は、二二八紀念館や總統府で日本語のボランティアガイドをしている。
  • 塔立國普家儒漾さん:パイワン族。戦後国軍に入って軍人生活をした後、原住民初の立法院議員になった人。息子はアメリカに留学して医者をしており、原住民としては現在でも珍しい豊かな暮らしをしている。
  • 宋定國さん:家が貧しいために進学を諦めていたが、成績優秀だったため日本人の先生が尽力し、夜間中学に進学した。そのため先生に非常に感謝しており、のちに行方をつきとめて、現在は毎年千葉までお墓参りに行っている。
  • 陳清香さん:台湾人としては少数の、女学校まで進んだ人で、しかもかなり優秀な成績で卒業した。はっきりとは語られていないが、話の断片から、政府に対して協力的な、かなり裕福な家庭の出身だと思われる。
  • 楊足妹さん:家庭の事情で一年しか学校教育を受けていないが、その後日本人経営のコーヒー農場で働いたためいちおう日本語はわかる。

こうして並べてみるとわかるように、上の4人はふつうの台湾人の代表というより、かなり特別な人である。映画を観ても、彼らははっきりと「語るべきこと、語りたいことを持った人」であり、「日本のマスコミ? ウェルカム、ウェルカム。わたしの話を聞いて、聞いて。なんぼでも話しまっせ」という感じである。しかし楊足妹さんはそうではない。日本語はそれほど得意そうではないし、日本統治時代のことや日本人のことはほとんど語られない。彼女が起用されているのは、すべての台湾人が学校教育を受けて日本語がペラペラだという誤解を与えないように、そうではない人の代表としてという側面が強いと思う。しかしそれにしても、日本語で話させるということ自体にも問題があり、十分な話を引き出せてはいない。

オーラル・ヒストリーの重要性が叫ばれるようになって久しい。もちろん、上の4人のような、語るべきことをもった人の話に耳を傾けることも大切である。しかしもっと重要なのは、楊足妹さんのようなふつうの人々の、十分に言語化されていない記憶を聞き出すことなのではないかと思う。