実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『愛と死の記録』(蔵原惟繕)[C1966-44]

朝から出京して阿佐ヶ谷へ。ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショー、「昭和の銀幕に輝くヒロイン」は吉永小百合。いづみさまが出るというので、J先生のつきあいで蔵原惟繕監督の『愛と死の記録』を観る。観たい映画もなかなか観られない状況なのに、なぜわざわざ蔵原の映画を観に行かんといかんのかという疑念を感じながらも、阿佐ヶ谷行きにはいろいろと+αがあるので嬉々として出かける。

愛と死の記録 [DVD]

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吉永小百合主演の難病モノといえば、(観たことないけれど)『愛と死をみつめて』である(『真白き富士の嶺』[C1963-33]もあるが)。本作は、タイトルからしてその二番煎じ感がミエミエなので、ぜんぜん期待していなかったが、意外に見ごたえのある骨太な映画だった。

舞台は広島で、難病といっても病気は原爆症。あくまでも個人レベルでの愛とか結婚とか死とかを扱っているが、その背後には、個人が翻弄させられる核兵器、戦争、政治といったものの存在が重くのしかかっている。当時の広島では決して珍しいことではなかったであろう話だが、現在もまだ、過去のものとはなっていない。原爆症の認定や保障をめぐるニュースは頻繁に聞かれるし、核兵器の問題も最近またホットな話題である。核拡散防止ではなく核廃絶をめざした核軍縮が課題となっているなかで、この映画の内容は現在的な意義を失っていない。

何度か不気味に写される原爆ドームが効果的。広島の話で、平和記念公園が映っているからかもしれないが、光の感じとかが『二十四時間の情事[C1958-02]を思い出させた。久しぶりに観たい。

被爆による白血病の渡哲也と吉永小百合との純愛物語自体は、それほど惹かれるものではなかった。だって吉永小百合だから。わたしにはどうも吉永小百合の魅力がわからない。年のわりに幼いし、こんなほっぺたがはちきれそうな娘が、どうしてそんなに人気があったのだろうか。だいたい彼女が演じるとなんでも「吉永小百合の世界」になってしまい、想像力が妨げられ、テーマの掘り下げもしにくくなる。まあ、こんな役はふつうなら恥ずかしくて見ていられないし、健気さがこれほどイヤミにならない人も珍しいので、そういう意味では芦川いづみと同様、特異な雰囲気をもった女優といえなくもない。

その芦川いづみは、最初、吉永小百合の嫂で彼女をいじめる役に違いないと予想したが違っていた。すぐにお隣のおねえさん役だと推定できたが、なかなか登場しなくて焦った(別にわたしが焦る必要はないのだが)。結局、終盤に2シーンのみ登場。世評としては、ケロイドがあったりして強烈な印象という見方が多いようだが、わたしとしてはちょっと物足りなかった。せっかく謎めいたワケありの役柄なので、もう少し憑かれた異様さを発揮してほしかったと思う。