実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『長江にいきる 秉愛の物語(秉愛)』(馮艷)[C2008-20]

今朝、ロメールの新作が最近公開されていたうえに、すでに終わってしまっているということをはじめて知り、ショックを受ける。わたしの情報収集網はどこか欠陥があるようだと思いつつ、時代劇らしいし、代わりに洪尚秀(ホン・サンス)でいいか、と思う。洪尚秀でいいというより、洪尚秀がいい、実は。

J先生がマンションの理事会だったため、遅めに出かけて渋谷へ向かう。昼ごはんの時間がなさそうだったので、お行儀悪く電車の中で食べる。パラダイス・アレイのフォカッチャとサンドイッチ、それにベックスの珈琲。通り道にある某イスラエル支援企業を素通りし、改札より向こうにあるベックスまでわざわざ行く。xiaogangくん、エラい(タンバの声で読むこと)。ラズベリージャムとピーナッツバターとルッコラという妙な取り合わせの甘いサンドイッチが非常に美味。

今日の1本めは、ユーロスペースで馮艷(フォン・イェン)監督の『長江にいきる 秉愛の物語』(公式)。またも三峡を舞台にしたドキュメンタリー。『水没の前に』[C2004-43]や『長江哀歌』[C2006-21]が、三峡ダムに翻弄される人々を群像劇風に描いていたのに対し、こちらは秉愛(ビンアイ)という強烈にパワフルなおばちゃんを前面に出し、彼女の魅力と個性とで描ききった映画。

秉愛の日常生活のシーンや、役人を相手に、立ち退きに対する主張や要求をまくし立てるシーンの合間に、彼女が自分のこれまでの人生を語るインタビューがはさまれている。そこで語られるのは、主に恋愛のこと、結婚のこと、妊娠や中絶のことなどだ。時にうれしそうに、時に悲しそうに過去のことを語る秉愛は、ふだんは見せないかわいらしさを漂わせている。たくましさとふてぶてしさ、それと相対するかわいらしさ。これらが一体となって、彼女ならではのかけがえのない魅力をかたちづくっている。

話の内容は個人的なことであっても、そこには一人っ子政策などの国の政策によって翻弄されてきた歴史も垣間見える。それが今回の立ち退き問題における彼女の戦いと自然につながり、国家の中での個人の無力さを示すと同時に、無力なだけでは終わらせない、したたかに生きようとする彼女の意志や生きざまを表している。

秉愛の主張は、『水没の前に』などでみられた損得勘定第一のものではないが、正義とか公平といった広い視野に立ったものでもない。とにかく自分の主張を通すことが第一だ。だから、彼女が正しくて役人が理不尽かというと、そういうわけでもない。立ち退きや転居の方針や規程の詳細がわからないので判断できないが、秉愛の主張はそれほど一貫しているわけではないし、役人もそれなりに筋の通ったことも言っている。だから、国家の犠牲になったり理不尽に踏みにじられたりする庶民のひとりとして彼女を見るよりも、あくまでも秉愛という特定の個人の戦いの記録として見るほうがおもしろいと思う。

体がちょっと不自由なだんなさんも、気弱そうな外見のわりに強気な主張を繰り返すのだが、自分は前面に立たず、秉愛の影に隠れるようにしながら言うことだけは言うという、ちょっとずるいところがおかしかった。

秉愛は他の映画で観た三峡の人々より個性的で印象的だが、どちらかといえば土地や建物、破壊や廃墟に興味があるわたしとしては、三峡ものドキュメンタリーとしては『水没の前に』のほうが好きだ。