実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『博奕打ち いのち札』(山下耕作)[C1971-19]

このあいだからちびちび観ていた『博奕打ち いのち札』を観終わる。マカロニウェスタンみたいな音楽がいいですね。

昨日観た『博奕打ち 総長賭博』[C1968-14]の完成度が高すぎるので、時々緻密さに欠ける展開が気になったりもするが、『総長賭博』と並ぶ山下耕作仁侠映画の代表作だと思う。『総長賭博』と違って、男女の関係が描かれているのがこの映画の見どころである。かつて結婚を約束した女性と再会したとき、彼女は親分の奥さんになっていたという設定は、『昭和残俠伝 人斬り唐獅子』[C1969-28]と近く、『日本俠客伝 血斗神田祭り』[C1966-11]をも思い出させる。しかし主人公を演じているのが鶴田浩二であるだけに、健さんとは違い、我慢のなかにも色気があり、内心の葛藤を感じさせる。ヒロインが安田道代なのも、新鮮かつオトナな雰囲気でよい。直江津の雪の砂浜のロングショットは忘れがたい名シーン。

親分の水島道太郎が早々に殺されると、もともと生活のための結婚であり、旦那はいい人だったけれど死んでしまえばヤクザの看板にも姐さん稼業にも興味のない安田道代は、鶴田浩二に「ヨリを戻そう」光線を送り続ける。一方の鶴田浩二は、姐さんを組の代表として立てて筋道を通すため、一貫してそれを拒み続ける。そこに鶴田浩二の舎弟の若山富三郎が絡み、トラブルを引き寄せる。こういった繰り返しが終盤までの展開だが、ついに安田道代が姐さんとして生きる決意をすると、命を張った若山富三郎を失って、鶴田浩二はこれまで守ろうとしてきたものの無意味さに気づく。そして悪者の内田朝雄を斬り、神棚に斬りつけ、安田道代を連れてこの渡世から出て行こうとする。再会後はじめて、ここで安田道代を「静さん」と名前で呼ぶのが印象的だが、たぶん時すでに遅く、安田道代はほとんど死にかけているか、すでに死んでいる。

『博奕打ち 総長賭博』と『博奕打ち いのち札』が山下耕作仁侠映画の代表作だと書いたが、両方とも正当な仁侠映画とは呼べない。もはや任侠道を通すことができないか、任侠道を通すことが正しさを意味しないこれらの映画が、映画史的には『仁義なき戦い[C1973-13]へとつながっていくように思える。それにもかかわらず、山下耕作は実録物を撮らず、このあとも仁侠映画にこだわり続けたというところがおもしろいと思う。

しつこいようだが、DVDはいつ出してくれますか?>東映さん。