実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ブライヅヘッドふたたび(Brideshead Revisited)』(Evelyn Waugh)[B850]

イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』読了。『ホモセクシャルの世界史』を読んだら(id:xiaogang:20081014#p1参照)再読したくなったので、久しぶりに手にとってみた。たぶん三度め。

ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)

ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)

わたしが読んだのはこれ↑だが、今新品が買えるのはこれ↓らしい。
ブライヅヘッドふたたび

ブライヅヘッドふたたび

ホモセクシャルの世界史』によれば、イーヴリン・ウォーはオックスフォード時代はホモセクシャルだったが、大学を出てから次第にヘテロセクシャルになったとのこと。自伝的な要素をもつこの小説には、それがそのまま反映されている。主人公のチャールスは、学生時代、同級生のセバスチアンに強く惹かれるが、やがてその妹のジュリアを愛するようになる。そしてセバスチアンについて、「あれは前触れだったんだ」などと言うが、それってずるくないか。

この小説はすごく好きだが、理解しているかと言われたら理解していない。セバスチアンはなぜ酒に溺れていくのか、チャールスはセバスチアンを愛していながら、なぜ彼が破滅に向かっていくのを止めることができないのか。あるいは、チャールスとジュリアはなぜ別れなければならないのか。キリスト教というもの、その教えが幼いころからすりこまれるということ。そしてイギリスにおいてカトリックであるということ。生まれたときから今まで、神がいると思ったことも、必要だと思ったことも一度もないわたしには、頭ではそれなりにわかっても、やはり本当のところはわからない。でもたぶん、よくわからないからこの小説に惹かれるのだろう。

ジュリアが「罪」という概念を何度か持ち出すが、宗教的に罪とか原罪とかいった概念をすりこまれて育つのとそうでないのとの違いは大きい。そういったものとは無縁に育ったわたしにとって、罪というのは刑法があってはじめて存在するものである。つまりそれは相対的なものだ。もちろん、道徳的に、あるいは人道的に悪いことというのは存在するが、それはあくまでも「よくないこと」や「悪いこと」であって「罪」ではない。結局、宗教はおそろしいという単純な結論になるのだが、この小説では、無神論者だったチャールスが結局カトリックのほうへ行ってしまう点が不満である。

新訳ブームだが、この小説の翻訳も賞味期限切れっぽい。少なくとも単語レベルでは見なおす必要があるだろう。今なら一語のカタカタ語ですみそうな、わけのわからない長い説明が時々みられる。