実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『下女(下女)』(金綺泳)[C1960-52]

今日の4本め、わたしの今年の映画祭最後を飾るのは、金綺泳(キム・ギヨン)監督の『下女』。今回の金綺泳監督の特集上映では、どちらかといえば観たい作品ではないものしか観られなかったが、これは本命中の本命で、まさに最後を飾るのにふさわしい。上映前に、監督のご子息のキム・ドンウォン氏と、今回の特集に尽力された映画評論家のイ・キョンスク氏の舞台挨拶があった。

『下女』の冒頭部分は、『キム・ギヨンについて知っている二、三の事柄』[C2006-S]で引用されていたので去年も観た。タイトルバックのあやとりの長回しは何度観てもすごい。中産階級の家庭を舞台にしたモノクロの画面は、これまで観た時代劇や『水女』[C1979-25]に比べて、非常にモダンな雰囲気なのに驚く。

下女(家政婦)を雇ったばかりに平和な中流家庭が破壊される話は、噂どおりのすごさだった。何も起きないうちから漂うただならぬ不吉な気配から、見るからに凄惨なシーンまで、見た目がモダンでスマートなぶんそのすごさが際立っている。現代劇なのに雨や嵐が多く、落雷シーンも出血大サービス。いちばん気に入ったのは、終盤の下女が死ぬシーン。瀕死の状態で足にしがみつく下女をひきずったまま教師が階段を降りていくと、一段降りるたびに下女の頭がごつん、ごつんと音を立てながら階段にぶつかるところが最高。下女は階段の途中で息絶えて、そのまま階段に逆さまに横たわっているのが、一階の部屋から見えるショットもすばらしい。

主人公の音楽教師を演じる金振奎(キム・ジンギュ)は、アップで見ると全然似ていないが、遠くから見たスマートなスーツ姿が吉田輝雄を彷彿させた。なのでわたしは、彼が吉田輝雄だと思って観ることにしたが、この作戦は大成功。というのも、この主人公はふつうに見るとかなりイライラさせられる性格なのだ。女工にラブレターを貰ったら管理職にチクるし、家政婦に迫られると簡単に手を出してしまい、そのくせ浮気をちっとも楽しまないですぐに後悔して苦悩する。ところがこれがいかにも吉田輝雄がしそうなことなので、吉田輝雄だと思って観るとすごく楽しめていちいちにんまりしてしまう。この映画は『ラ・パロマ[C1974-01]な構造だが、最後のメッセージもまたまさしく吉田輝雄

夫の浮気や下女の妊娠を知った妻が、家庭や自分の立場を守ろうとする様子は、『女の中にいる他人[C1966-03]を彷彿させる。雨や嵐が多いことなど、共通点はけっこう多いかも。もちろん『下女』のほうが先。

安聖基(アン・ソンギ)が子役で出ていることはあらかじめ聞いていたが、観ているあいだは映画のすごさにすっかり忘れていた。小学生ぐらいの音楽教師の息子が安聖基だったようだ。下女に殺されるのと同様の死に方をするが、足の不自由な姉をからかったりするような、死んで当然の悪ガキだ。残念ながら、のちの安聖基の面影は全然なかったと思う。

帰ったらどうしてもやりたいのが「ベランダで下女ごっこ」。しかしながら、うちはベランダに面しているのが一部屋なので、あまりインパクトのある遊びはできない。二部屋ある家にお住まいの方はぜひぜひ下女ごっこを楽しんでいただきたい。

上映後は、篠崎誠監督と脚本家の高橋洋氏をゲストにトークショーがあるとのことだったが、終映が11時近かったので当然パス。舞台挨拶が長すぎたらしく、トークショーをパスしても、走って乗り換えて終電のひとつ前の電車にやっと間に合った。横須賀線の中で、浪花家の鯛焼きを食べる。帰ったのは1時近く、寝たのは3時。死ぬ。