実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『乱れ雲』(成瀬巳喜男)[C1967-04]

メロドラマ第二弾は、大本命の『乱れ雲』(映画生活/goo映画)を観る(DVD)。以前から大好きな映画だったが、久しぶりに観て、こんなにもすばらしかったのかとあらためて感銘を受ける。映画史上10本の指に入る映画である。

乱れ雲 [DVD]

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今回は、司葉子加山雄三が互いに打ち解ける過程に注意して観た。先に打ち解けるのは加山雄三で、司葉子のほうがあとなのだが、それが同じ青森の喫茶店に設定されている。この喫茶店でふたりが会うシーンは2回あり、最初は十和田湖の実家へ帰る司葉子加山雄三を訪ねるシーン、二度めは加山雄三が旅館に忘れたライターを司葉子が届けにくるシーン。これらのいずれもが、ふたりの関係が変わっていく重要なポイントに設定されており、コーヒーを運ぶウェイトレスの乱暴さに関する台詞など、似たような話題がふたりの関係の変化を映すように変化しながら繰り返されている。

この映画を語るうえで重要な地理的キーワードは、青森とラホールである。司葉子は、迷ったすえに最後に加山雄三に会いに行く決心をする。その際に、これまで加山雄三の側に負い目があったのが、彼がラホールに飛ばされることになり、司葉子の側にも負い目ができたということが大きなポイントになっている。ここで重要なのは、「ラホール」と聞いて連想されるイメージを、ふたりが共有しているということだ。そのように考えてみると、交通事故の加害者と被害者を、貿易会社の社員と通産省の官僚という関連する職業に設定したことが、不可抗力であったにもかかわらず加山雄三が会社から受ける不当な扱いに始まって、ラホールが加山雄三司葉子に喚起させるイメージに至るまで、いろいろなところに効いているということがわかる。

ちなみに、『乱れ雲』を初めて観たときから今日に至るまで、わたしが「ラホール」と聞いて連想するのは、マルグリット・デュラスの『インディア・ソング[C1975-02]である。『インディア・ソング』のほうが、小説も映画も『乱れ雲』よりあとなので、実際には全然関連はない。しかし観る側としては、駐在員がおかしくなって行方不明になったという『乱れ雲』での設定は、『インディア・ソング』のラホールの副領事の狂気じみた感じを連想させるし、あの映画の退廃的な雰囲気が、加山雄三のラホール行きに特別な印象を与えているのはたしかである。