バンガロールに来ちゃったの

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『天が許し給うすべて(All That Heaven Allows)』(Douglas Sirk)[C1955-V]

3本めは、『心のともしび』に続くダグラス・サークのメロドラマ、『天が許し給うすべて』を観る(DVD)。

わたしのいちばん好きな動物はパンダだが、二番めは鹿である(ちなみに三番は現在のところペンギン)。『天が許し給うすべて』は、すばらしき鹿映画であった。ロック・ハドソンの家の近くで何度かさりげなく目撃されていた鹿は、ラストシーンでしっかり顔を見せる。窓の向こうに鹿、衝撃のラストである。

舞台は、アメリカの小さな街の郊外の上流社会。上流階級の未亡人(ジェーン・ワイマン)と年下の庭師(ロック・ハドソン)の結婚に干渉し、反対する偏狭な社会が描かれている。周囲がふたりを認めるという形のハッピーエンドではなく、ジェーン・ワイマンがこれまで大切にしてきた価値観や社交界は、守る価値のないものだということを理解し、それを捨てるという形でのハッピーエンド。『女の中にいる他人』では、男の正しさは女の世間体の前に崩れ去ったが、こちらでは男の正しさが勝利する。結末は違っても、いずれも男のほうが正しいというところに多少の反発を感じないでもない。

ジェーン・ワイマンは、自分がこれまで生きてきた世界とロック・ハドソンが提示する世界のあいだでさんざん葛藤するのだが、ロック・ハドソンのほうにはほとんど葛藤がない。わたしも彼のほうが正しいとは思うが、この映画でのロック・ハドソンはあまりに自信満々なところがちょっと嫌味である。

ロック・ハドソンジェーン・ワイマンの関係の変化が、ウェッジウッドのティーポットで表現されていたのがよかった。一度別れたふたりがクリスマスツリーの店で再会し、凍りついたように見つめ合うシーンも印象的。秋から冬にかけての風景が美しく、テレビがいかにも邪悪なものとして登場していたのも興味深い。