実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『天安門、恋人たち(頤和園)』(婁菀)[C2006-46]

渋谷のシアター・イメージフォーラムへ、婁菀(ロウ・イエ)監督の『天安門、恋人たち』(公式/映画生活/goo映画)の初日初回を観に行く。そんなに混んではいなかったが、タイトルの「天安門」に惹かれてかあるいはR-18だからか、じいさんが多いのが目につく(次の回はかなり混んでそうだった)。

主要な登場人物は、主人公の余紅(ユー・ホン)(郝蕾/ハオ・レイ)と、そのボーイフレンドの周偉(チョウ・ウェイ)(郭暁冬/グオ・シャオドン)と、余紅の親友の李緹(リー・ティ)(胡伶/フー・リン)。彼らは‘北清大学’という、もろに北京大学清華大学を合わせた名前の大学の学生である。要するに中国有数のエリート校ということだろう。

一見すると、邦題にある天安門事件は単なる背景にすぎない。この映画で天安門事件が出てくるのはだいたい次の箇所である。「天安門広場へ行った」という余紅のモノローグに重ねて、学生たちが嬉々として天安門広場へ向かうシーン、天安門広場でのデモのニュース映像、天安門広場へ行ったあと、高揚した余紅と周偉と李緹が街を歩いているシーン、弾圧の夜と思われる混乱した大学構内のシーン、その翌日の意気消沈した学生たちのシーン。夜な夜な寮の部屋へ集まったりバーにたむろしたりしている学生たちは、恋愛ばかり語って政治も社会も語らなかったわけではない。当然政治を論じただろうし、事件の話もしただろう。しかし、そういったものは一切、この映画から意図的に排除されている。

表面的には、大学生の恋愛とその後を描いた映画である。学生が校内の寮に住んでいて、勉強も生活も一緒の濃厚な人間関係の中での激しい恋愛は、わたしの学生時代とはかなり違うけれど、若くて、愚かで、輝かしい、普遍的で魅力的な青春映画ということもできる。10年後の余紅と周偉の再会シーンなど、言葉にならないものが全部表されていてすごくよかった。

しかしこの映画に描かれているのはそれだけではないし、彼らはただ恋愛に傷ついたのではない。恋愛に傷ついて大学を去ったかのように見える三人に重ね合わせられているのは、もちろん天安門事件の傷である。恋愛物語は比喩というわけではなく、おそらく両方ともある。片方は明示的に描かれ、片方は意図的に描かれていない。かつ両者がきちんとリンクするように設定されている。

手持ちカメラを多用したりして描かれる、天安門事件前の比較的自由な時代の雰囲気と、大学を辞めたあとの10年間、中国各地をさすらう余紅や、ベルリンへ渡った周偉と李緹が描かれる沈痛ともいえる雰囲気との違いは印象的だ。自身がこの世代に属するらしい婁菀監督による、世代論のような映画でもあり、彼らの世代に対する鎮魂歌ともいえるだろう。

頤和園”がついに公開されると知ったとき(内容は知らなかった)、頤和園天安門になるのが不思議だった。客寄せパンダかとも思った『天安門、恋人たち』という邦題は、このように考えてみるとなかなか言い得て妙である。原題にある頤和園は、はっきりとはわからないが最初のほうでちょっとだけ出てきたと思う。そんなに出てくるわけではないので、象徴的な意味で使われていると思われる。

細かいところでは、柳絮の季節が3回巡ってきて2年の年月の経過が表されるところが、北京らしく、映像的にも美しくてよかった。バーで串を食べるのとか、馬桶をひっくり返すところとかにも激しく反応。

この映画の一番の問題点は、周偉を演じる郭暁冬だと思う。彼は30代のようなので、最後のほうが実年齢に近いと思われ、そのあたりはそれほど違和感がない。しかし最初に登場したとき、余紅がひと目見て理想の人だと思うようには思えないし、男子学生がハンサムだと認めたり、「女子学生がみんな彼と寝たがっている」と噂されるようにはとても見えない。でも彼は章明の『週末の出来事(秘語拾柒小時)』[C2001-01]に出ているようだ。憶えていないけれど今度チェックしてみよう。

これに対して余紅を演じた郝蕾はなかなかよかった。ふだんは童顔っぽいのにエロい顔にもなるし、胸もデカい。「体当たり演技」という点で湯唯(タン・ウェイ)と比較されそうだけど、湯唯よりずっといいと思う。