西安で刀削麺を食べて、日本橋まで散歩して、マキアートを飲んで、うさぎやのどらやきを買って、それから渋谷へ移動。ダグラス・サークのチケットを追加購入して、ぶらぶら買い物をしているうちに夕立ちに降られ、やむのを待ってシアター・イメージフォーラムへ。無事に『コロッサル・ユース』(公式/映画生活/goo映画)の上映に間に合う。今日は、西洋の映画ばかり観るという、わたしにとっては1年に一度あるかないかの珍しい日。しかも来週もなのだ。
ペドロ・コスタは実は初めて。『ヴァンダの部屋』は気になっていたのだけれど、なにせ長いから。最近はJ先生の「映画は90分」キャンペーンに洗脳されて、長い映画を観るのが億劫である。『コロッサル・ユース』も155分と長いけれど、今年になって公開される映画が長いのばっかりだったから、ものはついでという感じで観る決心をした。たぶんこれで当分長いのはないのではなかろうか。
その『コロッサル・ユース』は、チラシなどの写真がとても美しく、「ぜひ観なければ」という気分にさせられる。実際の映画もあのとおりで、茶色っぽい、あるいは緑がかった、全体に暗いトーンがとても美しい。ふつうの意味での美しいものは、何も写っていないのに。そしてキャメラはほとんど動かず、すべてのショットの構図がすごくかっこよく決まっている。
内容は、妻に逃げられた主人公のヴェントゥーラが、子供たち(本当の子供ではないようだ)を訪ねて対話をしたり、転居を勧められている新しい集合住宅を見に行ったりする、というもの。時おり1974年と思われるシーンになるが、頭に包帯を巻いているだけで、現在の年とったヴェントゥーラがそのまま演じている。ドキュメンタリーとも劇映画ともいえない、どちらであるかを問うこと自体が無意味に思われる映画。
主人公のヴェントゥーラはカーボ・ヴェルデからの移民であり、彼が住んでいるのはリスボンのそういった移民たちが集まっている地区。登場人物はみなそこのアフリカ系の住人である。ポルトガルによるカーボ・ヴェルデの植民地化、1974年のポルトガルの革命、1975年のカーボ・ヴェルデの独立といった歴史について、あるいはカーボ・ヴェルデからポルトガルへの移民について、もう少し知識があったらこの映画はもっと楽しめるだろう。
いつものようにとんきでひれかつを食べる。お客さんみんなに特製団扇を配っていて、わたしたちも一本ずついただく。柄にヴァリエーションもあり、なかなか立派なもの。儲かっているんですねえ。