実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『イースタン・プロミス(Eastern Promises)』(David Cronenberg)[C2007-29]

今日も10時ちょうどに有楽町交通会館へ行ったが、前売り券は売り切れ。しかたなくシャンテ・シネへ向かい、当日料金を払ってデヴィッド・クローネンバーグの『イースタン・プロミス』(公式/映画生活/goo映画)を観る。

イースタン・プロミス [DVD]

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クローネンバーグは、『クラッシュ』[C1996-30]で見切りをつけて以来だが、ロシアン・マフィアものということだし、評判もいいので鑑賞。ひと言でいうと、クローネンバーグもふつうにおもしろい映画を撮るようになったという印象。

いわゆるマフィアものというよりは、いろんな要素を少しずつ含んだ映画である。ギャング映画であり、恋愛映画であり、ゲイ映画であり、最終的には○○ものである(単なるネタばれ防止であり、いわゆる伏せ字ではないので、いらぬ推測をせぬよう)。

全体としては、すぐそばに裏社会がある不気味さ、表と裏の世界の境界線の果てしない曖昧さのようなものが印象に残る。その意味でロンドンという舞台は効果的で、冒頭の雨の中の床屋の看板のショットから惹き込まれた。冬のロンドンのひんやりとしたたたずまいや、クリスマスという言葉が何度も語られるのに、クリスマスらしい賑わいや浮き浮きした感じが、街からも人からもちっとも感じられない重苦しさもいい。

一見、温厚そうなレストランの主人にしか見えないロシアン・マフィアのボス(アーミン・ミューラー=スタール)、出来そこないのその一人息子(ヴァンサン・カッセル)、その運転手からのし上がろうとするロシア人移民の男(ヴィゴ・モーテンセン)、それにロシア人移民の娘であるカタギの女性(ナオミ・ワッツ)。この4人を中心にしたドラマが、説明しすぎず、多くを語りすぎず、淡々と進んでいく。ラストもあくまで思わせぶり。

助産師であるナオミ・ワッツが、それまで別世界だったマフィアの世界にまきこまれるきっかけはロシア語の日記であり、それが、ロシア語は読めないけれど父親がロシア人である彼女に訴えかけるものだったからである。そのあとも、おいしいボルシチ、ロシア風の名前の呼び方、ロシア製のバイクといったちょっとしたものが、彼女を深入りさせていくところが興味深かった。単にロシア的なものというより、父親へのノスタルジアに訴えかけるものである。

イギリスという階級社会の中にあるロシア人移民の世界で、マフィアの世界とカタギの世界には、おそらくはっきりとした境界があるわけではない。ナオミ・ワッツのケースは、このような両者のつながりがどのようにしてできていくのかを、象徴的に表しているように思われた。一方、移民といってもソ連時代に国を出ていった人とロシアになってから出て行った人、(旧ソ連の中の)出身国や属する民族によっても、いろいろな確執があるように思われる。そのあたりの知識があればさらに楽しめるだろう。

『イタリア・マフィア』[B1217]によれば、イタリア・マフィアはホモセクシュアルではいけないらしいが、ロシアン・マフィアも同様のようである。一方、イタリア・マフィアは一族の中でも素質のある者しかマフィアにしないらしいが、ロシアン・マフィアは出来の悪い息子もマフィアにして、基本的には跡継ぎにするらしく、少なくともこの映画ではそのあたりがひとつのキーになっている。ちなみに日本の場合は、博徒は実力がなければ息子を跡継ぎにはしないが、テキ屋は実子が継ぐのが普通、というようなことを読んだことがある。

ところで、この映画は意外にもパンダ映画。ボスの経営するレストランでのクリスマス・パーティで、男の子がヴァンサン・カッセルにパンダのぬいぐるみを見せるシーンがある。ヴァンサン・カッセルはご丁寧に「パンダだ」とか言ってくれたりする。すばらしい。