実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『愚か者、中国をゆく』(星野博美)[B1285]

『愚か者、中国をゆく』読了。

愚か者、中国をゆく (光文社新書)

愚か者、中国をゆく (光文社新書)

20年前の中国旅行の旅行記。旅行情報としては当然古くなっていて、現在ではあまり役に立たないと思われる。だけど古さを感じさせず、おもしろく読めるのは、鉄道旅行の困難さを前にして、何を考え、どう行動し、そこから何を得たか、といったことが旅行記の中心になっているからだろう。ところどころにある、中国や旅に関する考察は、賛同できるところもあれば賛同できないところもあった。

まず、この本を読んでよくわかったこと。それは、「なぜ硬座での夜をまたぐ旅行が大変なのか」ということである。昼間数時間乗るぶんには、硬座だってそんなに座り心地が悪いわけでもないし、横になれないのは辛いと思うけれど、なんでそこまで…と、これまで疑問に思っていたからだ。満員になるほど無座の切符が売られているとは知らなかった。

無座の人に席を取られそうになっていやな思いをした経験はわたしにもある。たしか北京から天津へ行ったときだと思うが、列車に乗り込んだらすでにほとんどの席が埋まっていた。座っていたおじさんやおばさんは無座だったらしく、きわめて協力的にわたしたちの席を探してくれたのだが、わたしの席であることが判明した場所には、彼らではなく小学生くらいの女の子が座っていた。「そこはわたしの席なんだけど…」と言ったとたん、まわりのおじさんおばさんから猛烈な非難の声が浴びせられた。さっきまでの親切な様子とのギャップに何がなんだかわからず、「でもそこはわたしの席なんです」と言うと、まわりの空気が重く冷たくなった。結局その子が別の車両に行き、わたしは自分の席に座ったが、その後も冷たい空気が漂いつづけた。

考えてみると、「どかそうとしたのが子供だった」ということしか、非難の理由は考えられない。日本では考えられないことだが、中国では老人はもちろんのこと、子供に対しても席を譲る光景を時々目にしたからだ。中国人が地下鉄やバスで老人に席を譲るすばやさ、自然さは見習うべきものがあるが、列車の指定席となれば話は別である。ここはわたしが時間と労力とお金を使って買った席である。老人だろうが病人だろうが、基本的には譲る必要はない(そりゃ場合によっては譲るけれども)。ましてや料金も安いであろうがきんちょなんかに死んでも譲るもんか。要するに、自由席がないのが問題なのだと思う。

そして、この本を読んでいちばん驚いたこと。それは、著者が1ヶ月も中国を旅していながら、トイレットペーパーを流してはいけないことを知らずに過ごしていたという事実である。