実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(若松孝二)[C2007-25]

若松孝二の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(公式/映画生活/goo映画)のモーニングショーを観に、テアトル新宿へ行く。3時間以上もある映画のモーニングショーを11時からやるというのはいかがなものか。モーニングというからには、まっとうに昼ごはんが食べられる時間に終わってほしい。2時半まではとても我慢できそうにないので、10時すぎにセガフレードでパニーニの昼ごはん(モーニングのセットだったが)。

映画は、まず第一に重信房子(伴杏里)がかわいい。この映画の感想の第一声としてそれはないだろうと言われそうだが、本当にかわいい。彼女はヒロインの遠山美枝子にとっての憧れであり、学生運動が輝いていたころの象徴である。なので彼女が魅力的なのはもちろん意図的なものである。遠山美枝子が死ぬとき、ふたりの思い出がフラッシュバックするところは『長恨歌[C2005-06]を連想させた。

その遠山美枝子を演っているのが坂井真紀だということには最後まで気づかなかった。坂井真紀はけっこう好きだったのだが、最近全然見かけないなと思っていたら(単にわたしがテレビを観ないので)、こんな映画に出ていたなんて見直した。でも彼女が最初に登場したとき、「遠山美枝子 明治大学 20歳」とかなんとかクレジットが出たが、「えっ?20歳?えらく老けてるな」と思ったのはわたしだけではないだろう。なるほどそのはずで、坂井真紀は今38歳である…。

基本的に有名な人はほとんど出ておらず(わたしがわかったのは佐野史郎だけだった)、これも最後まで気づかなかったが、坂口弘を演っていたのはARATA。劇中、永田洋子が遠山美枝子の化粧やおしゃれを批判するけれど、坂口弘が出てくるたびに「でもその坂口さんのマフラーの巻き方もかなりおしゃれですけど」と心の中でつぶやいてしまうのを止められなかったが、なるほどね。

内容についていえば、多くの人が書いているように長さを全く感じさせない見応えのある映画だった。最年少の加藤倫教に、起きていることへの違和感をわずかに表現させているほかは、山岳ベースでの生活からあさま山荘事件まで、距離を置いて客観的に描いている。中心となるのは山岳ベースでの仲間の粛清だが、登場人物たちの不安や閉塞感と、選ばれた人が確実に死に向かっていくのを見ているしかないやり場のなさや重苦しさが重なって、なんともいえない暗い空気が漂っている。観ているときはそれほど重いとは感じなかったが、人間のもつ嫌な面をたくさん見せつけられたことが、苦い後味となって重く心に残る。

観ていて連想したのは文化大革命オウム真理教イデオロギーや規模は違っても、理想や志を共有する集団が、外部から遮断され、ベクトルが内側に向かったとき、同じようなことはよく起こる。一方には正義感や理想を求める純粋な気持ちがあり、一方には誰もがもっている妬みやコンプレックスがあり、また一方には集団内での恋愛関係や権力闘争がある。そのあいだの境界線は実はきわめて曖昧で、それらが互いに作用し合ったとき、最悪の結果を招いてしまう。これはなかなか超えることのできない人間の限界であり、わたしたちは歴史から学んでそれを乗り越えなければならないだろう。でもその前にまず、これがわたしたちの物語であるということ、彼らは特殊な人間ではなくふつうの若者だったということ、誰もが状況次第で糾弾される側にもされる側にもなるということをみんなが自覚することが大事だと思う。

あさま山荘事件があったときのことは、なんとなく憶えている。こたつと、えんえんと続くテレビのおぼろげな記憶。1972年。あらためてすごい年だったんだなと思う。あさま山荘事件沖縄返還日中国交正常化、韓国での戒厳令発令、上野動物園へのパンダ来日…。ほかの年だってすごいことがたくさんあったのかもしれないけれど、わたしのアンテナに引っかかる出来事が、この年に集中しているような気がする。このブログで、自身の記憶に絡めて1972年の出来事に言及するのはこれでもう三度目なのだ。