バンガロールに来ちゃったの

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『小津ごのみ』(中野翠)[B1274]

『小津ごのみ』読了。

小津ごのみ

小津ごのみ

この著者の書いたものをちゃんと読んだことはないが、雑誌で映画評などを目にするかぎり、あまり意見が合わなそうだと思っていた。しかし小津本となれば読まないわけにはいかない。多少の先入観をもって読み始めたのだったが、予想よりも好感がもてる本だった。

わたしが好感をもったのは主に次の三点である。

  1. 『淑女は何を忘れたか』[C1937-04]と『お茶漬の味』[C1952-06]が好きだと書かれていること。 → わたしも好き(両方とも★★★)。
  2. 小津映画について最もよく語られているテーマのひとつ、「視線の問題」が気にならないと書かれていること。 → わたしも気にならないのでずっと不思議だった。「気にならない」という発言を聞くのは初めてで、思わず膝を叩きそうになった。
  3. 「小津映画のディテールに関して、性的な深読みをすることに対して強い違和感を抱いている」と書かれていること。 → 著者は『東京物語』での原節子の「狡いんです」発言について、高橋治(『絢爛たる影絵 小津安二郎[B123])の説に違和感を抱いているわけだが、わたしは『晩春』(いわゆる「壺のシーン」)に対する近親相姦説に違和感を抱いている。

東京物語』の紀子(原節子)の台詞については、著者は高橋治とは全然別の見解を述べている。小津映画の登場人物がある行動や発言をする際に、その理由や真意は曖昧であり、そのために誰もがいろいろな説を唱えては熱く議論している。しかしわたしが思うには、彼らの行動や発言の裏にひとつの明確な意図が存在するわけではなく、さまざまな要因が重なって、それらの行動や発言が引き起こされているのだと思う。だから、鑑賞するたびに新たな要因を発見したり、年齢を重ねて経験が増えるにしたがって新たな要因を思いついたりして、様々な解釈をしたくなる。それこそが小津映画の魅力だと思う。

『小津ごのみ』に話を戻すと、もとが雑誌の連載であり、特に小津迷に向けて書かれたものではないため、すでにあちこちで語られているようなことも書かれていて、退屈するところもある。また、連載だから一回ごとに独立して読めるように書かれているため、重複がものすごく多い。おそらく、重複を省こうとするとあまりに修正点が多いため、単行本化の際にも手を入れられなかったのではないかと思う。

「感動的に厳密な校正担当のかた」と「あとがき」に書かれているように、校正レベルのミスはなさそうだったが、内容の間違いはけっこうあった。鶴田浩二は「鈍感さん」ではありませんから。