『植民地台湾を語るということ 八田與一の「物語」を読み解く』読了。
植民地台湾を語るということ―八田與一の「物語」を読み解く (ブックレット〈アジアを学ぼう〉 1) (ブックレット アジアを学ぼう)
- 作者: 胎中千鶴
- 出版社/メーカー: 風響社
- 発売日: 2007/11/10
- メディア: 単行本
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八田與一は、日本統治期の一九二〇年代から三〇年代にかけて、台湾中南部に大規模な灌漑施設「嘉南大圳」を建設した台湾総督府の日本人技術者である。(p. 4)
八田與一について詳しく読んだことはなかったが、台湾がらみのコンテクストにおいて、八田與一を称賛する言説には、相当の胡散臭さを感じてきた。
この本では、結論的に、八田の物語が日本と台湾とでは異なる文脈において語られているということが示されている。たとえば、次のように書かれている。
嘉南地域において八田與一の事績は、もはや郷土に根づいた歴史の記憶である。墓や銅像はその歴史の記憶のモニュメントであると同時に、住民を庇護し恵みを与える「土地神」の役割も果たしているのだろう。つまり台湾人が「八田與一」を語るとき、それは必ずしも「日本」や「日本人」を思い浮かべるとは限らず、地域社会の歴史を想起する場合もあるということだ。しかし日本人が「日本」を過剰に意識して八田物語を語るとき、そうした戦後の台湾人の心情はどこかに置き去られてしまうのである。(p. 40)
これはこれでなるほどと思わされるが、一方で、前半で述べられているように、「日本精神」などというものを持ち出して八田與一を称賛する台湾人もいるわけで、それに対する説明にはなっていない。そういった人たちが、(少なくとも八田與一を称賛する日本人たちに比べて)それほど保守的だったり右翼的だったりするわけではなさそうなのは、国民党政権との比較や少年時代へのノスタルジアを差し引いても、やはり理解困難な部分である。