実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『Exiled 放・逐(放・逐)』(杜蒞峰)[C2006-41]

遅めに出京してMeal MUJIで昼ごはん。東京フィルメックスの会場、有楽町朝日ホールへ。今日の2本目、フィルメックス3本目の映画は、杜蒞峰(ジョニー・トー)の『Exiled 放・逐(原題)』。男の映画のはずが満員の観客はおばさんばっかり(多少誇張)、女子トイレは長蛇の列でうんざりだ。

世の中には、「香港映画ファンが必ず褒める映画」というのが存在する(それらをことごとく評価していないわたしはきっと香港映画ファンではない)。『ザ・ミッション 非情の掟(鎗火)』[C1999-26]もそのひとつである。しかし、「“鎗火”そんなにいいか? そんなにすごいか?」と思っているわたしは、杜蒞峰作品を観るときはどこか身構えているところがあった。最近は毎年2本ぐらい観られるようになって、そういった気分もうすらいできたところで観たこの『Exiled 放・逐』は、これまでで最も堪能した杜蒞峰映画である。

よくできている、というのが全体的な印象。銃撃戦などのアクション部分と、笑える部分と、男の友情といったセンチメンタルな部分のバランスが、非常によくとれていると思った。特に笑いの部分は、闇医者の部屋で五人組とボスの任達華(サイモン・ヤム)が鉢合わせするところとか、1トンの金塊に憑かれた林雪(ラム・シュー)が「1トンの苦労はどのくらいか」とかぶつぶつ言いながら歩いていて蹴りを入れられるところとか、すごく楽しめた。男の友情というか、彼らの行動の動機づけみたいなものをシンプルに写真で表したのもうまいと思う。最初からそれっぽかったのが、觀音山(觀音ではなく媽祖ではないのか)のほうへ逃亡して、ますます西部劇化していくのもよかった。

今まであまり二回観たいとは思わなかった杜蒞峰作品だが、この映画はまた観たいと思う。好きか嫌いかといわれたらかなり好きだ。しかしながら、わたしがこの映画を堪能していたのは、頭と心の上半分だ。その下の深いところに到達して揺さぶられる瞬間というのはほとんどなかったような気がする。その理由のひとつは、わたしが杜蒞峰映画の画にあまり心を動かされないということだと思う。澳門(マカオ)が舞台なので、「見ただけで胸がいっぱい」ということになりそうなものだが、そうはならない。構図がかっこいいとか思うところはたくさんあるけれど、なんというか、匂いたつ空気感のようなものがない。でも部屋のなかでカーテンが揺れる感じなどは印象に残る。

五人組は、黄秋生(アンソニー・ウォン)、呉鎭宇(フランシス・ン)、張耀揚(ロイ・チョン)、林雪が『ザ・ミッション 非情の掟』と重複するが、みんなすごく成長して、存在感を増していて感心した。『ザ・ミッション』のときはどうにもB級なメンツにしか見えなかったが、今回は、亞婆井前地に二人ずつ立っていたりする冒頭部分から魅せられた。そして任達華。上映前に、「仲間が集まって楽しんで作った映画」という杜蒞峰のメッセージがあったが、それがいちばん感じられたのが彼だった。かなりとんでもないボスで、しかも○ンタ○(いろいろ試した結果、この伏字パターンがいちばんわかりにくい←ン・マンタみたいだし)を撃たれてしまうというかっこ悪い役だが、なんだか演るのが楽しくてしかたがないというオーラに包まれていて微笑ましかった。本当はかっこいい任達華が見たいのだけれど。

この映画の主なロケ地は、亞婆井前地(リラオ広場)(左写真)と青少年活動中心(右写真)。青少年活動中心は『客途秋恨』[C1990-29]にもちらっと出てくるところ。映画の中では怪しげなホテルで、ここに350パタカで泊まれるんなら泊まりたいものである。写真は2006年12月から2007年1月にかけてのもの。