実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『風を聴く 〜台湾・九份物語〜』(林雅行)[C2007-12]

大降りの雨の中、朝早くから黄金町へ。シネマ・ジャック&ベティの「復活!中国映画祭」に、『風を聴く 〜台湾・九份物語〜』(公式/映画生活/goo映画)を観に行く。ジャック&ベティなんて「まだあったんだ」というくらい久しぶり。調べてみると、2003年にシネマ・ジャックで『宮本武蔵 巌流島の決斗』[C1965-35]を観て以来のようだ。

『風を聴く 〜台湾・九份物語〜』は、サブタイトルのとおり九份を描いたドキュメンタリー。そう聞いたらとりあえず観なければいけないので、詳細はよく知らずに台湾映画かと思っていたが、実は日本人監督による日本人向けの映画だった(いずれにしても中国映画祭でやるのは変だろう)。九份の歴史を知ることができる点と、九份で生まれ育った日本語世代の老人たちの生の声を収録している点では貴重なドキュメンタリーである。しかし映画としては魅力がうすい。テレビのドキュメンタリーみたいというのが率直な感想で、実際監督は、ふだんはNHKのドキュメンタリーなどを作っているそうだ。インタビューが中心なのは、老人たちを映像に残すという意味もあるからまあいいとしても、(登場人物とは関係のない)ナレーション主体の構成なのはなんとも工夫がない。インタビューの内容とそこに出てくる場所も、もっとリンクさせてほしかった。

映像的には、やはりヴィデオである点が痛い。わたしは九份を5回くらい訪れていて、出てくるところはほとんど知っている。基隆山や深澳灣なんて、大写しになっただけで胸がいっぱいになりそうに好きな風景だけれど、画面からは心に迫ってくるものがほとんど感じられなかった。ヴィデオである点が大きいとは思うけれども、台湾の空気がとらえられていないように思う。『風を聴く』というタイトルなのに、風がこちらにまで吹いてこない。

金鉱の町としての九份の歴史は、数年前に台湾で出ている本をなんとか解読してだいたい把握したのだが、そのへんがわかりやすく描かれていた。ただ、少なくとも戦前に関しては、日本人中心の町だった金瓜石との比較が重要だと思うのだが、そのあたりは描かれていなくて残念だ。それに、金鉱が閉山して寂れてしまったあとふたたび賑わいはじめたのは、『悲情城市[C1989-13]のロケ地になって注目され、観光地として栄えるようになったからである。そのことは監督ももちろんご存じのようだが、映画の中では語られておらず、知らない人には現在賑わっているのはどうしてかよくわからないと思うし、芸術村のようになっていることと観光地化との相関関係もよくわからない。

また、『悲情城市』の前にも後にも、九份ではたくさんの映画が撮られているが、それにも全然ふれられていなかったのは、個人的には残念だった。過去の九份は写真でしか紹介されていないが、それらの映画には過去の九份が映像で残されていたり、再現されていたりする。老人たちが語る戦前の九份の賑わいは『無言の丘』[C1992-79]に、朝鮮樓は『悲情城市』に再現されている。『海をみつめる日』[C1983-40]に映っているのは寂れていたころの九份で、その姿には愕然とする。権利の交渉をしてそれらを使うのはたいへんなのだろうが、こういった映画が挿入されていたら興味深かったのにと思った。

九份出身とのことで、女優の陳淑芳さんがちょこっと出ていたのが特記事項である。

ここでの上映は今日が初日ということで、上映後に監督の舞台挨拶があった。2004年に初めて台湾へ行き、九份のこともそのとき初めて知ったらしい。そのあたりの思い入れのうすさと言ったら失礼かもしれないけれど、関わりの浅さが映像にも表れていると思うとなんとなく納得した。監督の話では、九份は民間の力で再活性化に成功しているので、補助金に頼ってあまり成功していない日本の町のよいモデルになるのでは、とのことだった。台湾で歴史遺産のあるような町は、どこもかしこも芸術村だのレトロタウンだのになっているが、たしかに九份はそのはしりなのかもしれない。しかし、もともとは古い町並みや建物が生かされていた九份も、今は新しい建物がどんどん建って、とても醜い町になってしまった。九份から学ぶにしても、みならうべき点と反面教師とすべき点があるように思う。

せっかく黄金町に来たので、昼ごはんはチャオタイで豪華タイ料理、と思ったら、マッサージ屋になってしまっていた。しかたなく、近くの別のタイ料理屋で鶏肉バジル炒めのランチを食べる。