実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ハーフェズ ペルシャの詩(うた)』(Abolfazl Jalili)[C2007-06]

今日の3本目、映画祭6本目は、コンペティションの『ハーフェズ ペルシャの詩』(公式/映画生活)。Abolfazl Jalili(アボルファズル・ジャリリ)監督の待望の新作である。2年前のフィルメックスで、ほぼ撮り終えたようなことを言っていたのに、その後噂を聞かないので気になっていたが、フィルメックスではなく東京国際映画祭のコンペに前ぶれもなく出てきて驚いた。

映画は、古代ペルシャの詩人、ハーフェズの恋物語を、現代を舞台にして描いた寓話である。寓話的な部分と現在のイランの状況、リアルと非リアルとが渾然一体となっている。登場人物が、よかれと思って何かするたびに軍に連行されたり逮捕されたりするところは、体制批判的な意味もあるように思われる。ハーフェズの詩やイスラム教の背景知識に乏しいこともあるが、観てすべて理解できるような映画でもないので、公開されたらぜひもう一度観たい(東京都写真美術館ホールで1月19日公開予定)。ついでに『アブジャッド』[C2003-11]も公開してほしいものだ。> ビターズ・エンドさん

ジャリリの映画は、『ぼくは歩いてゆく』[C1998-16]のようなセミ・ドキュメンタリー風のものと、『ダンス・オブ・ダスト[C1998-13]のようなほとんどイメージで構成された映画とがある。この映画はどちらかといえば後者の系譜であるともいえるし、両者が程よくミックスされているともいえる。

まず、登場人物の移動によってシーンとシーンをつないでいくところがすごくおもしろく、この移動シーンが強く印象に残る。それから、ひとつひとつのイメージが強烈な力をもっており、意味を超えて観る者の心に強く訴えかけてくる。これにハーフェズの詩やコーランの音の魅力が加わる。同じ一節が何度も繰り返され、ペルシャ語アラビア語もわからないのにその音の響きに聞き覚えがあり、音やリズムがイメージと一体となってこちらに迫ってくる。

物語的には、引き裂かれたハーフェズとナバートよりも、ナバートの形式的な夫であり、彼女のためにハーフェズを探す旅に出るシャムセディンに興味を惹かれた。ハーフェズというのはコーラン暗唱者の称号であり、名前は二人ともシャムセディン。ハーフェズとシャムセディン(ハーフェズではないほうのシャムセディンをとりあえずこう呼ぶ)が初めて出会ったとき、同じ名前を名乗り合うシーンが妙に引っかかって心に残るが、シャムセディンはハーフェズと同じ名前であったばかりに、数奇な運命を引き受けることになるとしか思われない。ハーフェズとナバートの出会いよりも、ハーフェズとシャムセディンの出会いのほうが運命的に思われるのだ。

ハーフェズを演じたMehdi Moradi(メヒディ・モラディ)は、チラシではイタリアの伊達男、映画ではマイケル・ジャクソンみたいに見えたが、シャムセディンを演じたMehdi Negahban(メヒディ・ネガーバン)のほうがすっきりしていていい感じだった。

この映画はビターズ・エンドが製作に加わっていて、ナバートを麻生久美子が演じている。彼女を見るのは初めてなので、演技的にどうこうとかほかの映画と比べてどうなのかとかは全くわからない。たしかチベットとの混血のイラン人という設定だったと思うが、イランには色黒でごつい顔の人から西洋人みたいな人までいろいろいるので、ほとんど違和感は感じなかった。