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『東京裁判への道 (上)(下)』(粟屋憲太郎)[B1240-上][B1240-下]

現代思想』に触発されて(id:xiaogang:20070824#p1)、『東京裁判への道 (上)(下)』を読了。

東京裁判への道(上) (講談社選書メチエ)

東京裁判への道(上) (講談社選書メチエ)

東京裁判への道(下) (講談社選書メチエ)

東京裁判への道(下) (講談社選書メチエ)

尋問調書などの膨大な資料を読み解きながら、容疑者や証人の尋問内容や被告の選定過程など、東京裁判開廷までの過程を描いたもの。東京裁判の歴史的意義を高く評価したうえで、様々な問題点を指摘している。上巻は、木戸幸一と田中隆吉の尋問内容、昭和天皇の免責問題が中心。下巻は、被告の選定と他の容疑者の釈放、細菌戦と毒ガス戦の免責問題、訴追を免れた容疑者の尋問内容などが中心。

まず、アメリカの都合でいろいろなことが隠されたり、免責されたりしてしまい、そのことがその後日本が過去を克服していくうえで障害になっているということをあらためて感じた。また、結果としていろいろなことが歪められてしまったり、十分に追及されなくなったりしてしまった、冷戦の影響の大きさということも強く感じた。

尋問の内容がいろいろと紹介されているので、人間ドラマとしてもとてもおもしろく読めるのだが、自己弁護や責任転嫁、あるいは嫌いな人の罪を激しく告発する、といったことがすごく目につく。訴追されなかった人の尋問内容に、嘘八百も含めた自己弁護が目につくように思うが、やはりアメリカ人は、ペラペラとよくしゃべる人間に好感をもつのだと思った(かなり偏見入ってます)。それに通訳を介すと、「ウソっぽい雰囲気」みたいなものが伝わりにくいのかもしれない。また、容疑者は「本当は反対だった」とか「真意はこうだった」とか心の中ばかりを語り、それに対して尋問担当官は行動を問うている、というのも目についた。

被告の選定には疑問の残る点もあるが、尋問する側は日本の政治や歴史や文化の専門家でもなく、さらに通訳を通しての尋問であり、やむを得ないとも思う。しかし、被告の選定結果が少し違っていたら、あるいは当初の予定どおり次の裁判があってもっと多くの人が裁かれていたら、その後の日本の歴史ももう少し違っていただろうと感じないわけにはいかない。有罪になってもその後政界に復帰した人もいるので一概にはいえないが、容疑者に入っていながら訴追されなかった人たちがもし訴追されていたら、ちょっと前まで私たちが困らされた変な総理大臣が誕生することもなかったかもしれない。

おもしろかったのは、木戸幸一のあだ名が「銀座の与太者」だというのと、写真につけられた「入所する人で賑わうスガモプリズン」というキャプション(p. 149)。ふつうこういうところに「賑わう」は使わないと思うが、もしかしてわざとだろうか。