『現代思想』2007年8月号の「特集=東京裁判とは何か」を読んだ(最後の論文に挫折したので読了はしていない)。
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2007/07
- メディア: ムック
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- 内海愛子、小森陽一、成田龍一(討議):『東京裁判が作った戦後日本』(pp. 44-70)
- 高橋哲哉:『もう一つの「東京裁判史観」』(pp. 105-117)
- 林博史:『「慰安婦」問題と戦犯裁判』(pp. 118-123)
- 鳥羽耕史:『映像のスガモプリズン』(pp. 124-135)
『東京裁判が作った戦後日本』では、BC級戦犯裁判で多くの朝鮮人、台湾人兵士が有罪になっているということが詳しく語られている。朝鮮人、台湾人元兵士が恩給を受け取れないというのはどう考えても納得いかないが、補償はなくて罪だけは問われているということは、もっと広く取り上げられ、問題にされるべきことある。また、この討議では、「東京裁判史観」ということが広く言われるようになった経緯や、それが戦後補償裁判などアジアからの告発と反響しあいながら、感情的なナショナリズムが隆盛していく過程が整理されていて、参考になる。
『もう一つの「東京裁判史観」』では、「東京裁判史観」という言葉を、いま使われているのとは別の意味で定義している。いまは、日本の戦争が侵略戦争であったとすることを否定的に語るときに「東京裁判史観」と言うらしい。ここでは、A級戦犯に戦争責任を集中させることで、悪かったのは一部の軍国主義者であって天皇には責任はないとする認識を、もう一つの「東京裁判史観」と呼んでいる。私もずっと、「東京裁判史観」と言うならそれではないかと思っていたので、これを読んですっきりした。靖国問題との関連なども、私が漠然と考えていたことに近い内容がわかりやすくまとめられていた。
『「慰安婦」問題と戦犯裁判』では、次のようなことが述べられている。
- 東京裁判で、「慰安婦」の強制に関する証拠書類が出されており、判決の中でも事実認定がなされている。
- 東京裁判では、A級戦犯は単に「平和に対する罪」で裁かれたのではなく、膨大なB級戦争犯罪(「通例の戦争犯罪」)があって、その全体の責任者として裁かれている。
- これまでの議論では、東京裁判で何が裁かれなかったのかにのみ焦点があてられ、何がどの程度まで裁かれたのかについては調査も議論もされていない。
『映像のスガモプリズン』は、『壁あつき部屋』(映画)、『私は貝になりたい』(テレビドラマおよび映画)について論じたもの。私は両者とも観ていないので(映画版『私は貝になりたい』には南原伸二出てますねえ)、自分の印象と比較した評価はできない。しかし、私は最近、日本人の被害者意識が非常に気になっているので、「庶民被害者史観の完成」というサブタイトルで『私は貝になりたい』が論じられていたのが興味深かった。この論考は、『私は貝になりたい』についての次のような記述で締めくくられている。
……心地よい涙を流して共感した「庶民」は、自分たちは戦争の被害者であり責任はどこか外にあるのだと心から納得することができた。それがこのドラマの人気の秘密であったし、冷戦構造崩壊以降、くりかえし召還されなければならない理由なのである。(p. 135)