実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『霧(霧)』(何宇恆)[C2004-45]

晩ごはんはエチオピア(公式)の野菜カリー。隣で(エチオピアの)社長が看板の打ち合わせをしている。それからエクセルシオール・カフェでラテを飲み、『今ひとたびの戦後日本映画』[B1234]を読む。そしてふたたびアテネ・フランセへ。「ヤスミン・アハマドとマレーシア映画新潮」の目玉、何宇恆(ホー・ユーハン)監督の『霧』を観る。

コピーショップ(どこのメーカーかわからなかったのが悔しい)で働く姉、失業中の弟、老人ホームで暮らす祖父。この三人を交互に中心に据え、その日常をドキュメンタリー・タッチで綴っている。淡々とした描写は、一見、何事も起こらない、決まりきった毎日の繰り返しのように感じさせる。しかしながら、二人で暮らす姉弟の父親は、おそらくこの映画が始まる直前に自殺している。映画の中では、祖母が亡くなり、姉は妊娠し、中絶する。しかも近親相姦が暗示されている。決まりきった毎日どころか、波乱万丈の人生だ。

中絶をきっかけに、弟と姉はそれぞれこの「家庭」から外へ出て行こうとし、誰もいなくなったところに祖父がこの「家庭」に帰ってくる。映画はそこで終わっている。ラストシーンは夜。その闇の濃さと、家の外で姉弟の帰りをぽつんと待つ祖父の姿が、観終わったあとずっと心に残る。彼らはこれからどうなっていくのか、気にかかってしかたがない。“霧”という中文タイトル、そして“Sanctuary”という英文タイトルの意味するものは定かではないが、どちらもこの家族のことを表しているのではないかと、なんとなく思う。

この映画もディジタルなのが惜しまれるが、それでもこの映画独特の空気感が確かにあって、それが登場人物の何気ないしぐさや表情から伝わる心のゆれみたいなものと混じりあい、忘れがたい印象を残す。ただしマレーシアという感じはあまりしない。『愛は一切に勝つ』[C2006-33]と同様、バイクで走るシーンも印象的。

姉を演じた女の子は、第一印象では『愛は一切に勝つ』の黄麗慧に比べてかなり見劣りするが、映画が進むうちにどんどん輝きを増してきた。張子夫(ピート・テオ)が『Rain Dogs(太陽雨)』[C2006-15]と同じような感じで出てきて、同じような感じでビリヤードをしているので、思わず「出たー」とつぶやきそうになった。