実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『小津安二郎先生の思い出』(笠智衆)[B1225]

小津安二郎先生の思い出』読了。

小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)

小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)

なぜか持っていなかったこの本が文庫になったので購入。口述筆記のため「ですます」体だが、口語っぽいというか方言っぽい表現が混ざっており、まるで笠智衆が話しているのを聞くようで、すらすら読める。どこかで読んだり聞いたりしたことのある内容がほとんどだが、二箇所ほど気になるところがあった。

ひとつめは、笠智衆が小津組で誰と親しかったか、ということについて。まず、よく家に遊びに来た人として三井弘次が挙げられている。それから、親しかった人として日守新一と河村黎吉。渋い。渋すぎる。(狭義で渋いと言っているわけではない、念のため。)

もうひとつは、小津映画の脚本についての次の部分。

 ……『晩春』で僕が原節子さんを呼び止める時の「おい、おい、おい」と三回言うような繰り返しの台詞は小津先生、「行ったかね、今日」みたいな引っくり返しは野田先生のお気に入りだったと聞いています。(p. 130)

小津映画の脚本のほとんどは、小津安二郎野田高梧が共同で書いている。しかし、「野田色」についてはこれまで考えてみたことがなく、その特徴をすべて「小津色」と考えていた。言語的な面での目立った「小津色」のひとつが、実は野田高梧によるものだったというのは意外である。ところで、「いつもの、普通の、国産の、安いの」(『彼岸花[C1958-05](asin:B0009RQXIM))といった表現はどちらの好みだったのだろう。繰り返しの要素も倒置の要素も入っていて、言語的な面では最も小津的な表現だと思うのだが。