『私の家は山の向こう - テレサ・テン十年目の真実』読了。
- 作者: 有田芳生
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/03
- メディア: 文庫
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『私の家は山の向こう』は、単行本が出たとき手にとってみたものの、台湾のことがあまり書いてなさそうなので買わなかったが、文庫化されたので買ってみた。訒麗君の生涯を、日本でのデビュー、中国でのコンサートの計画、天安門事件の衝撃、死のいきさつなどを中心に描いたもので、最後に、死後騒がれた「台湾のスパイ説」が虚偽であることを検証している。天安門事件の苦悩など、彼女の心情に寄り添ってできるだけ誠実に訒麗君の像を描こうとした本だと思うし、スキャンダラスに騒がれたスパイ説が虚偽であることを検証している点でも価値のある労作だと思う(ただしこの部分はもっと論理的に書くべきだ)。また、あくまでも日本の歌手として訒麗君を知る多くの日本人に向けて書かれたものとしては、妥当な内容かもしれない。
しかし私としては不満が残る。私が知りたいのは、台湾生まれの外省人二世としての訒麗君の台湾観・中国観である。著者はあとがきで「訒麗君の心情を中国、台湾の現代史のなかで探っていく」といったことを書いているが、台湾の現代史にはあまりふれられていない。訒麗君の人生が政治に翻弄されたものだったとしたら、それらの一番根底にあるのは彼女が外省人として生まれたことだと思う。なぜ彼女は中国でコンサートをしたかったのか、なぜ彼女はそれほどまでに中国の民主化を願ったのか、そして彼女は台湾をどう思っていたのか。この本ではそのあたりが曖昧なままだ。そもそも著者は、外省人としての訒麗君ということにあまり関心をもっていないように思われる(もちろん、スパイ説が流れたのも彼女が外省人だからだし、断片的には出てくるものの個別の点としてしか書かれていないし、台湾事情に疎い読者に対する十分な説明もない)。
訒麗君が生まれ育った時代、台湾は自由な国でも民主的な国でもなかった。天安門事件にそれほどまでに苦悩するのなら、その前に台湾の現状にもっと苦悩してもいいのではないかと思うが、そういう話は全く出て来ず、彼女は台湾には関心がないようにみえる。たとえば訒麗君は、中国政府に抗議するためのコンサートで、“我的家在山的那一邊”(この日本語訳がタイトルにもなっている『私の家は山の向こう』)という曲を歌っている。これは台湾の、というか国民党政権下の反共ソングである。天安門の弾圧への抗議として歌う曲としては、異なる政治的コンテクストをもちすぎている。この曲は“松花江上”(『悲情城市』の中で歌われる‘九一八、九一八♪’というあれです)の替え歌らしいので、それなら“松花江上”を歌えばよかったのではないか。抗日の歌が弾圧への抗議という新たな文脈で歌われることは、筋が通っているように思われる。タイのホテルで“梅花”を歌ったというのにも、同様の国民党政権へのシンパシーとか、あるいはそのようなセンシティヴな問題に対する無神経さを感じる。彼女が生まれ育った、外省人の軍人家庭という背景を考えればそれも無理はないかもしれないが、「中国の民主化を願った訒麗君」というのが強調されればされるほど、ひっかかりを感じてしまう。もしも聞けるのならば、天安門事件の10年前に起きた美麗島事件のことをどう思っていたのか聞いてみたい。
(【07-06-2007加筆】 訒麗君版をYouTubeで聴いてみたところ、“松花江上”と同じ曲とは思えなかった。ちなみにこの歌のタイトルは“家在山那邊”が正しいらしい。)
ついでに、著者の台湾認識という点で気になったのは、「訒麗君スパイ説」の元になる証言をしたとされる谷正文についての次のような文である。
蒋介石軍が大陸から追われ台湾に移ってからは、国防部保密局の偵防組長として共産主義者を取り締まる仕事に十五年間従事する。台湾では一九二八年に台湾共産党が結成されるが、戦後も弾圧に晒されながら活動が続いていた。(p. 254)
これでは、共産党員がたくさんいて彼はそれを取り締まっていたかのように読める。私はもちろん谷氏の仕事の内容を知らないが、ふつうに考えれば、彼が取り締まったであろう人の多くは、共産主義に多少の共感や興味をもつ人や、共産主義とは特に関係のない知識人や政府に反対の意見をもつ人であっただろう。