実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(太田直子)[B1211]

帰りの電車で『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』読了。タイトルは、俗っぽいという意見もあるようだが、それよりも長さとリズムの悪さが気になった。もっと簡潔に『字幕の中心で変と叫ぶ』とか。

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

私がよく目にする字幕翻訳者の名前は、水野衛子さん(中国語)だったり根本理恵さん(韓国語)だったりで、メジャーな某ハリウッド映画専門字幕翻訳者の名前などは10年に一度も見ないくらいだが、この本の著者、太田直子さんの名前はたまに見かける。字幕翻訳者は、特定言語の専門家と字幕作成の専門家に分けられるようで、マイナー言語の場合は通訳などもこなす前者が多いが、著者は後者である。原語を英語や日本語に翻訳したものから字幕を作ることも多く、手がけた映画の言語は多岐にわたるらしい。

この本を要約すると、「最近は、文脈が読めなかったり、映像からの想像力が欠けていたり、日本語能力が低かったりするバカが増えている。そういうバカな観客を対象にしたり、自らがバカだったりする配給会社の人間にいろいろと言われながら、自分の好みや良心に反しない、よい字幕を作るのはとても大変だ」となる(著者に聞いたら「そこまで言っていない」と言うかもしれないが)。

字幕にも影響を与えている最近の日本語について、著者はいろいろ文句を言っているが、多くは賛同できるものだ。一例を挙げてみる。

- 「!」の多用
大いに賛同する。私は固有名詞以外、絶対に「!」を使わないことにしている。
- 常用漢字のみを使った混ぜ書き(「だ捕」、「真し」など)
これも、ニュースの字幕などで「何これ?」と思うことが多い。常用漢字外にはふりがなをふるとしても、混ぜ書きはしないのを原則とすべきだと思う。そもそも常用漢字にこだわるのもおかしいし、読める漢字と書ける漢字をひとまとめにするのも変だ(今は書ける必要はないから、「読めて正しく変換できる」ことを基準に範囲を拡大すべきだと思う)。
- 登場人物の職業、年齢、性別などによる「色づけ」
ほとんど実在しない「女性語を話す女性」などは前から気になっていたが、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(asin:400006827X)という本を読んでから、老人言葉がかなり気になっている。これらは作家や翻訳者が率先して変えていくべきだと思う。
-「お」や「さん」、「させていただく」などが多用される過剰な丁寧語・敬語
これは最近、会社の中でも気になっている。アクセス地図の「さん」づけは、先日「IKEAさん」というのを見て悶絶した。「さん」じゃないけれど、私が一番変だと思うのは、政治家(主に自民党)が同じ党の政治家に言及するときに「○○先生」と呼んで敬語を使うこと。ただ、著者が問題にしていた「お仕事」だけはちょっと違うと思う。あれは、仕事はいやなものだからわざと「お」をつけて、なんというか褒め殺しみたいなものではないのか。
-「させる」「される」の多用
これは技術文献でもよくある。ほかの人が書いたものをベースに文書を作っているときなど、ふと気づいて全部平叙文に直すことが時々ある。

字幕作成の苦労は、字数制限の中で元の台詞の内容をできるだけ伝えるということと、どういうレベルの観客を対象として字幕を作るかということにあるようだ。

字数制限は、字幕が出ている時間に読める文字数で決められているらしいが、それはおかしい。長い台詞が一度に出る場合はともかく、字幕というのは読むものではなく見るものだからだ。配給会社は、この点から字幕の基準を見直すべきだと思う。ひらがなの多用や混ぜ書き、そしてこの本ではふれられていないが私が最も嫌いな中国人名のカタカナ表記などが、字幕のわかりにくさを助長していることは明らかだ。

レベルについては、著者は(無理と知りつつも)レベル別字幕を提案している。映画館では無理だろうが、DVDなら一考の余地はあるのではないか。字幕は一種類だとしても、いったん日本語訳してから字幕を作っている場合は、もとの完訳を入れてあると嬉しい。たしかDVDができたころは、「DVDならいろんな言語の音声や字幕を入れて、切り替えて観ることができる」ということが強調されていて、私は大いに期待した。しかし実際は、原言語音声と日本語吹き替えと日本語字幕しかないものがほとんどだ(必要なサーヴィスを提供していないくせに、リージョンコードなんか導入しやがって許せん)。おかげで日本版DVDを買ったあとも、中文字幕つきのDVDやVCDを捨てることができなくて困っている(日本語字幕で省略された固有名詞などを調べるため)。

この本でひとつ気になったのは、何度か「母国語」と書かれていることだ。必ずしも「母語」に変えればいいわけではなく、「母語」が適切なところ、「母国語」が適切なところそれぞれあったと思うが、問題は、「必ずしも母語=母国語ではない」ということが念頭になさそうなところ。最近は多言語の映画が増えており、その使い分けの意味がわからなければ正しく翻訳できない思われるだけに、ちょっと心配である。