バンガロールに来ちゃったの

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『アザー・ハーフ(另一半)』(應亮)[C2006-24]

晩ごはんはMeal MUJIと決めていたが、『マキシモは花ざかり』のQ&Aが終わったらほとんど時間がなかった。しかたがないので、夜だけ参加のJ先生と合流して吉野家へ行く。今日は豚キムチ丼に豚汁をつける。脂身と玉葱が目立つ牛丼より、豚丼のほうが肉が多いような気がして、別に牛丼が復活しなくてもいいと思う。吉野家には映画祭のときしか行かないので、どうでもいいといえばどうでもいい話だが。

今日の三本目、東京フィルメックス六本目はコンペティションの『アザー・ハーフ』。去年、『あひるを背負った少年』[C2005-24]で審査員特別賞を獲った應亮(イン・リャン)監督の新作である。法律事務所で書記として働く女性を主人公に、同棲しているダメ男やその他の友人との関係、家族との関係などが描かれる。彼女の働く法律事務所にやってくる人たちの相談内容も、ドキュメンタリー風に挿入されている。まず冒頭に、彼女の就職の面接シーンがあり、その後の相談者と同様、インタビューされる彼女が一方的に写されているのがおもしろい。彼女は面接で「テレビの法律番組を見たことはあります」と答えていた。それはきっと、NHKの『バラエティー生活笑百科』(いま調べてみて初めてそういう名前の番組だと知った)に違いない(実際はCCTVと言っていたらしいが)。

客の相談内容は、だいたい二つに大別できる。ひとつは、配偶者が出稼ぎに行ったり出国したりしたことに起因し、お金が絡む男女間のトラブルである。もうひとつは、この街に多数進出しているらしい化学系の工場をめぐるトラブルである。ヒロインは客と直接対話するわけではなく、記録するだけの完全な傍観者なのだが、その相談内容、特に男女間のトラブルが、彼女自身の身の上とリンクしている点が非常におもしろい。彼女は働きもないロクでもない男と同棲しているし、彼女の父親はずっと前に家を出たきりである。この父親と同棲相手もリンクしていて、先行して示される父親の状況が同棲相手の未来を予言するかのようである。父親は、新疆で成功したと言って突然帰ってくるが、父親をなぞるかのように行方不明になった同棲相手も、上海で成功したと語る。しかしいずれもどこまでが本当かわからない。父親がいったん新疆に戻ったあと、母親がまるで自分に言い聞かせるかのように、「すぐにまた帰ってくるよ」とつぶやくのがやけに印象的だ。

終盤、化学工場の事故が起きるが、みんなが避難して街に誰もいなくなるという展開や、ひたすら個人的な人間関係を描いていたはずの映画が、それを契機に国家・社会の話に拡大していく点は、洪水のために避難させられる『あひるを背負った少年』と同様である。

ロングショットの長回しで撮られた外景が印象的で、それと顧客がこちらに向かって相談内容を語るインタビュー映像との対比もおもしろく、これがフィルムだったらと思わずにはいられない。前作でもそう思ったのだけれど、雨の予感をはらんだ湿った空気感や、その空気の中の緑の鮮やかさは、一年経っても生々しく印象に残っている。デジタルの場合、観ているときは臨場感が足りないが、あとに残るかどうかは必ずしもフィルムかどうかに依存しないのかもしれない。

舞台は前作と同じ四川省自貢市のようだ。最近、四川省近辺(というのは重慶市を含むという意味である)が舞台の映画が目立つ。北京、上海が舞台の映画はもちろん多いが、それを除けば四川省近辺と山西省がいまの旬である。どちらもすでに「行きたい場所リスト」に載っているが、これからも注目していきたい。

また、この映画は「パンダ映画」に認定されている(LINK)。ヒロインの部屋のテレビの横にパンダがいたからである。目を皿のようにして見ても「ぬいぐるみみたいなもの」としかわからなかったが、もしかしたら電動パンダかもしれない。舞台が四川省だから、パンダグッズもほかより豊富なのだろうか。

上映後は、應亮監督とプロデューサーの彭姍(ペン・シャン)をゲストにQ&Aがあった(採録ココ)。

ところで、字幕では趙柯が趙何になっていたように思う。また公式カタログで[登β]綱となっているのは[登β]剛だったのではないかと思うのだが。