実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『マキシモは花ざかり(Ang Pagdadalaga ni Maximo Oliveros)』(Auraeus Solito)[C2005-45]

今日は、カフェで感想でも書こうと思ってパソコンをもってきた。なのに、本屋へ行っただけで空き時間が終わってしまう(無駄な荷物ほど心をすさませるものはない)。今日の二本目、東京フィルメックス五本目は、コンペティションの『マキシモは花ざかり』(公式)。監督はアウレウス・ソリト(Auraeus Solito)で、久しぶりのフィリピン映画フィリピン映画といえばゲイ映画である。ゲイの出てこないフィリピン映画をかつて観たことがあるか、と自問してみるが、思い当たるものはない(『あの旗を撃て』[C1944-04]フィリピン映画とは呼ばないとしてだが←実はゲイ映画だった、ってこともないよね?)。これは、ひとつにはやはりゲイが多いからだと思うが、映画界ではリノ・ブロッカ(Lino Brocka)以来の伝統だろうか(私が観ているフィリピン映画の大半がリノ・ブロッカなので、本当のところはよくわからない)。

マキシモは花ざかり』もその例にもれず、12歳のゲイの少年、マキシモが主人公。マニラのスラム街を舞台に、盗みを生業とする父や兄と暮らし、休学して家事を引き受けているマキシモの日々の生活、転任してきた若い警官との友情や淡い恋、彼の登場による家族の変化、そしてこれらを通じてのマキシモの成長を描いている。たしか『真夜中のダンサー』[C1994-64]でも、三人のゲイの息子を母親がふつうに受け入れていたが、この映画でも、ゲイではなさそうな父親と兄たちは、マキシモをふつうに受け入れている。

まず、マキシモを演じたネイサン・ロペズ(Nathan Lopez)が魅力的。ふつうの男の子としても十分かわいいが、半女装をしても気持ち悪さがなく、腰の振り方は怪しすぎる。本人はゲイではないそうだ。スラムが舞台だとか家族が犯罪者だとかいうと、主人公は不幸な犠牲者というふうに描かれることが多いが、この映画はそういった紋切り型ではない。マキシモはもっとふつうの家庭を望んではいるけれど、家族は仲良く暮らしているし、父親も兄たちもマキシモに限りない愛情を注いでいて、マキシモは不幸な少年とはいえない。兄が殺人を犯したり、父親が殺されたりするので、もっと悲惨な展開になるのかとも思ったが、そうはならずに希望をもたせる終わり方だった。兄たちがそんなに簡単に更生できるのか、まともに働いてマキシモを学校に通わせ続けられるのかを考えると、ちょっと楽観的すぎる展開かもしれないが、さわやかで好感のもてる終わり方である。

繰り返し出てくるスラムの路地が魅力的。長回しのラストシーンもよかった。Q&Aによると『第三の男』(asin:B0000641U9)だそうだ。そうですか。どうもすみません、観てなくて。

上映後、アウレウス・ソリト監督をゲストにQ&Aが行われた。