村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』読了。とてもよかったですよ、オールド・スポート。
- 作者: フランシス・スコットフィッツジェラルド,村上春樹,Francis Scott Fitzgerald
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 単行本
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そういうわけで、今度村上春樹版が突然出て(発売されてから知ったので、私にとってはものすごく突然だった)、非常に期待して読んだが、読み終わってもう一度読みたいと思えるような小説だった。『グレート・ギャツビー』は、村上春樹が出会った最も重要な小説だということだが、読んで感じたのは次の二点である。まず、語り手であるニックが、非常に村上春樹的な人物であるということ。それから、この小説の読後感が、村上春樹の初期の小説に似ているということだ。うまく表現できないけれど、消えてしまった想いの痕跡を慈しむような気持ち。
この本は、高い愛蔵版と安い普及版(ISBN:4124035047)が出ているが、私が愛蔵版を買ったのは、ケース入りハードカヴァーの立派な本がほしかったからではなく、愛蔵版のみの特別付録『『グレート・ギャツビー』に描かれたニューヨーク』がほしかったからだ。いつかニューヨークに行くことがあるのか定かではない、というより行かない可能性のほうが高いのだが、こういうものがついていたら、私としては買わないわけにはいかない。わずか30ページほどの小冊子だが、1923年発行のガイドブックを引用しながら『グレート・ギャツビー』の舞台が語られており、ガイドとしても使えるし、読み物としても楽しめる内容になっている。
ところで、愛蔵版と同じ値段にしてもいいから、普及版にもこの付録をつけてほしかった。本の立派さと値段が比例するのは、はなはだ時代遅れである。本当は、さっさと書籍が電子化されて、インターネットで読めて、カスタマイズして印刷できるようになればこんなことは言わなくていいのだが、いっこうにそうなりそうにないのであえて言う。今は小さいこと、薄いことが付加価値である時代である。本だって例外ではない、というか本が一番問題である。文庫本はハードカバーのでかい本より高くするべきだ。文庫本だと安くしなければいけないからという理由で、世の中に厚くてでかい本が出回っているのだとしたら、本当に嘆かわしいことである(収納家具業者の陰謀かもしれない)。パソコンやデジカメを小さく薄くすることにメーカーはしのぎを削っているが、本を小さく薄くするには何の技術革新もいらない。字を小さくして行間をつめて回りの余白を切り取れば、かなり小さくて薄い本ができるはずだ(そうすると、コピーやスキャンがしやすくなってまずいというのも考慮されているのだろうか)。本マニアの人は別として、高くても喜んで買う人はきっとたくさんいると思うし、住宅問題もいくらか解消されると思う。