実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『一年の初め(一年之初)』(鄭有傑)[C2006-10]

セガフレードでパニーニを食べようとしたら、機械の調子が悪いので時間がかかると言われ、しかたなく冷たいフォカッチャサンドを食べる。食べ終わったころに近くの席にできたてのパニーニが運ばれてきて、いい匂いをかがされた。

今日の三本目、映画祭九本目は、やはりアジアの風の『一年の初め』(公式)。『シーディンの夏』[C2001-19]の鄭有傑(チェン・ヨウチェ)監督の新作で、長篇第一作。『シーディンの夏』はすごく好きな映画なので、今回楽しみにしていた。

映画は、複数組の人々の大晦日から元旦にかけての運命を、少しずつ重なり合い、すれ違わせながら描いたもの。知らない監督の作品として、何の期待も抱かずに観れば、けっこう悪くないと思ったかもしれない。だけど私は思いっきり期待していて、それは『シーディンの夏』の監督の作品としての期待だった。最初から、クローズアップが多いのが気になったし、凝った構成や凝った映像(ここでは、余計なことをいろいろしているという意味である)は、『シーディンの夏』の対極にあるものだ。若者は変節するということなのだろうか。こわいこわい。

どこかですれ違う群像劇というのも、正直「またかよ」と思ってしまう。脚本は、何回も書き直してかなり時間をかけたようだが、どうも登場人物が生き生きしていないように感じられる。登場人物が多い分、ひとりひとりの登場時間は少ないし、登場のしかたも複雑だから、キャラクターづけはかなりはっきりしている。だけどそれは、どこか「頭で考えました」という感じでリアリティがうすい。たとえば蝴蝶(柯佳嬿)なんて、あまりにも陳腐というかマンガ的というか単なる男の願望というか、ちょっとげんなりしてしまう。

出演者は、すごく有名な人は出ていないけれど、それなりに豪華。庹宗華(トゥオ・ツォンホア)に、柯宇綸(クー・ユールン)に、『夢幻部落』[C2002-33]の莫子儀(モー・ツーイー)に、『シーディンの夏』の黃健瑋(ホアン・チェンウェイ)に、『狂放』[C2004-15]の許安安(シュー・アンアン)。しばらく見ないうちに庹宗華がすっかり老けて、なんだか哀川翔みたくなっていた(役もヤクザの親分だし)のがショックだ。別にファンではないが、最近見たのが『風櫃の少年』[C1983-33]なので、ギャップが大きすぎる。

ところで『シーディンの夏』はどうしてDVD化されないのだろうか。ここ数年に一般公開された映画の中で、DVD化してほしくてまだされていないのは、たぶんもうこれだけだ。月に一度は検索しているけれど、全然出る気配もない。「ぜひDVD化してください」ってスローラーナーさんにお願いすればいいんだろうか(『太陽』で儲けたでしょ)。

上映後、鄭有傑監督、出演者の莫子儀、柯佳嬿をゲストにティーチインが行われた。