実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『中国10億人の日本映画熱愛史』(劉文兵)

『中国10億人の日本映画熱愛史』読了。著者の劉文兵氏は、前作の『映画のなかの上海 - 表象としての都市・女性・プロパガンダ』(ISBN:476641117X)がなかなか興味深い本だったし、今年のはじめにちょっとだけお会いする機会もあったので、新著を見つけてすぐに購入した。

文革終了後、外国映画が解禁された中国では、『君よ憤怒の河を渉れ』(asin:B00005S7AS)、『サンダカン八番娼館 望郷』(asin:B0002Z7QCI)、『愛と死』、『砂の器』(asin:B000ALVX3C)といった映画や、高倉健山口百恵などのスターが熱狂的に支持された。その理由が様々な角度から分析されていて、非常におもしろかった。挙げられているのは、たとえば次のような理由である。

  • 先進資本主義社会の豊かでモダンな生活が描かれていた
  • 主人公の名誉回復や心の傷などが、文革で傷を負った中国人の心情と重なった
  • 日本人も、軍国主義や戦争の犠牲者であるということが理解できた
  • 外国映画は規制が緩いので、エロティックなシーンが期待できた
  • 健さんによって、中国ではこれまで軽んじられていたマッチョな男性の魅力にめざめた
  • 文革期の映画技術の停滞や、演劇的でワンパターンな文革映画に対して、台詞に頼らずに映像や表情で語ることや、ヴァラエティに富んだ映画技法が新鮮だった

どれも当時の中国の事情に関連しているが、その視点もレヴェルもヴァラエティに富んでいる。

熱狂的に支持された映画は、日本映画を代表するような名作でもなければ、記録的な大ヒット作でもない。理由を知ればなるほどと思うが、それはその映画固有の魅力が支持されたというよりも、たまたま選ばれた映画とそのタイミングが、観客の期待や指向にうまくマッチしたという感じである。もし別の映画が選ばれていたら、大ヒットしたのは全く別の映画だったかもしれず、そのあたりの偶然ともいえる巡り合わせがおもしろい。また、一般の観客だけに支持されたのではなく、批評家も褒めているし、映画関係者も多大な影響を受けているところもおもしろい。まだ映画監督になっていなかった第五世代の監督たちは、こういったあまりたいしたことのない(失礼)映画の影響を受けつつ、のちにそれらをはるかに超える傑作を撮っている点も興味深い。

中国で公開された映画のリストを見ると、ヒットしなかったものも含めて不思議なラインナップだが、70年代の映画というと暴力とセックスというイメージなので、そうでないものを選んだ結果こうなったのだろう(私も70年代の映画はあまり観ていないのでよくわからないのだが)。まさか『仁義なき戦い』(asin:B00005L9NR)を公開するわけにもいかなかっただろうが、公開されたらどういう反響だったのか興味がある。単純にエンターテインメントとして受けただろうか、あるいは文革という仁義なき戦いを生き抜いたことによる共感が得られただろうか。それとも暴力はもういいという気分で受け入れられなかっただろうか。

考えてみれば、その国の事情によってヒットする映画が異なるというのはあって当然のことだ。今でも国による違いは多少あるけれど、だんだんお金をたくさんかけて宣伝した映画がどこの国でもヒットするようになりつつあるような気がする。そういうのはおもしろくない。

ここに挙げられた4本の映画のうち、私は『君よ憤怒の河を渉れ』と『サンダカン八番娼館 望郷』しか観ていない。『君よ憤怒の河を渉れ』は、突っ込みどころ満載の、私の映画鑑賞史上稀にみるトンデモ映画で、途中で「まだ観続けなきゃいけないの?」と思った記憶があるが、読んでいるうちにもう一度観てみたくなった。『砂の器』は丹波哲郎も出ているし(この本では丹波のことには全くふれられていないが)、観ておきたいと思っているのだがなかなか機会がない。『愛と死』は存在すら知らなかったが、中村登は嫌いじゃないのでちょいと観てみたい(だけどおそろしく魅力のないキャストである)。

二点ほど間違いを見つけたので挙げておく。

  • 『小玩芸』(p. 111) → 『小玩意』
  • 『狼火は上海に揚げる』(p. 149) → 『狼火は上海に揚る』