フィルムセンター小ホールの「アンコール特集 2005年度上映作品より」(公式)に、『萬世流芳』を観に行く。去年の「発掘された映画たち2005」では、半休を取って行ったのに超満員で観られなかった(id:xiaogang:20050729#p1)ので、今回の特集はとても嬉しい。3時間前に行く覚悟だったが、金曜日に8割の入りだったとの情報から、2時間ちょっと前に行った。小ホールだから階段に並ぶのかもと思って敷物も用意したが、大ホールと同様、椅子に座って待つようになっていた。待っている人はまだ5人くらい。ちょっと拍子抜けしたが、ゆっくり本が読めると思って喜んだのもつかの間、近くの人たちが大声で話を始めた。映画関係の話で、しかも内容がけっこう間違っているので(侯孝賢が上海の監督だとか)、すごく気になって本はあまり進まなかった。結局、入りは9割強というところで、大ホールで『私は20歳』を観てから来てもだいじょうぶだったみたいだ(体力がもたないけれど)。去年はふだん来ないような人がたくさん来て、常連さんは軒並み観られなかったようで、今日は常連さんが勢揃い清水港だ。
冒頭から登場する、中国人扮するイギリス人。まず思ったのは、マキノ正博はこれを観て『阿片戦争』を撮ったのかな、ということ。『萬世流芳』が1942年で『阿片戦争』が1943年だから、十分あり得る。あの付け鼻や英語訛りの日本語がマキノのオリジナルでなかったとしたら少し残念だが、実はこういうふうにつながっていたというのも、それはそれで嬉しい。『萬世流芳』のイギリス人の中国語は、声調がめちゃくちゃなのはわかったが、英語訛りっぽいのかどうかはわからなかった。イギリス人への化け具合は、キャスティング(青山杉作、鈴木伝明)の妙もあって、マキノ版に軍配が上がりそうだ(もちろんあとからやるほうが有利なのだが)。『萬世流芳』と『阿片戦争』はどちらも林則徐が主人公だが、ストーリーは全然似ていない。にもかかわらず、イギリス人のほかにも、歌を披露する李香蘭と高峰秀子(デコちゃんは吹き替えだけど)など細部に類似点があるので、やはりマキノは『萬世流芳』に触発されて『阿片戦争』を撮ったのかもしれない。
(【2006-7-25加筆】よく調べたら、『萬世流芳』の上海公開が1943年5月6日、『阿片戦争』の日本公開が1943年1月14日のようなので、『萬世流芳』→『阿片戦争』の影響はなさそうだ(よく調べずにいいかげんなことを書いちゃいけませんね)。『マキノ雅弘自伝 映画渡世 地の巻』(ISBN:4582282024)によれば、マキノは『阿片戦争』のプリントを持って、『萬世流芳』公開中の上海を訪れているが、観たのかどうかはっきりわからない。)
林則徐を演じているのは高占非。高占非といえば、先日観た『ジャスミンの花開く』(id:xiaogang:20060625#p1)で茉(章子怡→陳冲)が夢中になる俳優である。章子怡が観ていた映画中映画を見るかぎり、あまりハンサムには見えなかった。陳冲が、娘や孫娘がハンサムなボーイフレンドを連れてくるたびに「高くん」と呼びかけていたが、そう呼ばれた陸毅や劉菀のほうがハンサムだ。本作を観て、あらためてハンサムではないと確認したが、林則徐の役には合っていたと思う。
林則徐と関わる二人の女性は、当時の上海映画を代表する女優、陳雲裳と袁美雲が演じている。林則徐を描きながら彼女たちの比重が高いのも、やはり林則徐をダシにして、原節子、高峰秀子の美人姉妹を描いた『阿片戦争』と共通している。陳雲裳は、林則徐に縁談を断られた(彼女のせいではないのだが)ために独身を通し、阿片中毒を治す薬を作って民衆を助け、最後は民衆を組織してイギリス軍に立ち向かうという役。凶弾に倒れて死ぬときに、自分の流した血のついた名前入りハンカチを林則徐に残す。恐すぎる。「私が死んでも、一生私のことを忘れさせないわ」という、自分をふった男に対する呪いのようだ(名前入りのハンカチは、そもそも結婚話の発端になったものなのだ)。もちろん映画ではそのような演出は一切なされておらず、あくまでも立派なおこない、立派な最期として描かれているが、それにもかかわらずというかそれだけにというか、やはり恐い。一方の袁美雲は林則徐の妻役で、結婚する前は、美しさ、聡明さ、優れた人格を遺憾なく発揮したうえに、自作の歌まで歌って才女ぶりを披露している。なのに結婚してしまうとほとんど活躍の場がなく、残念だった。最後に陳雲裳の墓の前で「彼女はすばらしい人でした」などと言っているが、陳雲裳に比べて影がうすいので、呪いに負けないか心配だ。
この映画は、日本占領下の上海で、日本の息のかかった会社で作られているが、かなりおもむろに抗日映画である(日本も日本人も出てこないけれども)。中影や中聯では、「借古諷今」と呼ばれるこういう映画が公然と製作あるいは配給されていたとは聞いているが、『木蘭従軍』などの場合は、「そうともとれる」という程度だったように思う。でも『萬世流芳』はもう、少々ぼーっとしている人も、「高さますてきー」と思って観ている人も、袁美雲目当ての人も、「立ち上がって日本人を追い出そう」という映画だということがわかると思う。張善[王昆]も川喜多長政もあっぱれである。
ところで、この時代の中国映画は、台詞が異様にゆっくりだ。おそらく、北京官話が共通語として十分に浸透していなかったためだろうと思う。この映画もそうで、日本語字幕を見ながら聞いていると、かなり台詞がわかる。150分もある映画だが、ふつうの速さでしゃべったら120分くらいに収まるのではないだろうか。