実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『秋立ちぬ』(成瀬巳喜男)[C1960-27]

阿佐ヶ谷へ移動し、ラピュタ阿佐ヶ谷へ。「銀幕の東京」特集(公式)の一本である、成瀬巳喜男監督の『秋立ちぬ』を観る。ほぼ満席。これは10年以上前に一度観ていて、あちこちでいい評判を聞くものの、あまり憶えていなかったので再見。

舞台は、川が流れていて、橋があって、裏通りにはふつうの八百屋があって、銭湯もある頃の銀座界隈。現在は失われたこの風景が、この映画のまず第一の魅力。下町のようでもあり、でも松坂屋が子供の遊び場だったりもする。地価が高騰し始めていて、現在に至る風景の変化を予測させるような台詞も聞かれる。

映画は、大人たちの勝手な都合に振り回される子供たちのひと夏の物語。なかなかよいのだけれど、やはり成瀬は大人の映画のほうがいい。たぶん順子ちゃん(一木双葉)の子役子役した演技がいけないんだと思う。秀男(大沢健三郎)と順子が橋の上で初めてすれ違うところが、ひとめ惚れって感じでいいのだが、その後の展開はちょいと色気が足りない。

勝手な大人の都合といえば、この映画のクレジットはその最たるもの。この映画の主人公は、どうみても秀男ちゃんだ。なのに、トップにクレジットされているのは母親役の乙羽信子。彼女は未亡人だが、旅館で働き始めて数日でお客さんとできてしまい、子供を預けたまま消えてしまうひどい母親。こう書くと、そのお客さんはそんなにいい男なのかと思うが、これが加東大介。『浮雲』では奥さん岡田茉莉子だし(裏切られるけれど)、『女が階段を上る時』では、身持ちの堅いバーのマダム、高峰秀子を最初に落とす役だし、成瀬映画の加東大介はけっこうおいしい役が多い。