実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『私は20歳(Мне двадцать лет)』(Marlen Khutsiev)[C1962-21]

マルレン・フツィーエフ監督の『私は20歳』は1995年の公開時に観ているが、みずみずしい印象だけが残っていて、内容はほとんど覚えていなかった。どうしてももう一度観たくなって、午後半休をとってフィルムセンターへ行く。「ロシア・ソビエト映画祭」(公式)でも観客は中高年。平日の3時だからあたりまえか。

1962年に作られた『私は20歳』は、除隊してモスクワに戻ってきた青年、セリョージャの1年あまりの日常を、二人の幼なじみの親友、家族、ガールフレンドなどとの関わりから描いた青春映画。第一部は、モスクワに戻った喜びや若さがあふれ、みずみずしさに満ちた青春篇。セリョージャは友人との再会を喜び、市電でひとめぼれした女の子をストーカーまがいに追いかける。第二部は、友情や恋愛にもつまづきが生じ、生きることに悩む苦悩篇。それは、当時のソ連の政治的、社会的な状況に立脚したものであると同時に、20代前半の青年に共通する、「人生の意義」といった悩みでもある。198分もあるので、後半疲れてきたころに苦悩されるとちょっときつかったりもするのだが。ちなみにタイトルは、おそらく映画に出てくる詩からとられていて、セリョージャは23歳である。

2002年の東京フィルメックスで観た同監督の『夕立ち』(1966)と同様、モスクワの街のたたずまいが素晴らしい。特に、夜や早朝の人気のない街が印象的だ。建築映画でもあり、遠くに浮かぶ寺院の霞んだシルエットや、アパートの螺旋状の階段もいい。『夕立ち』同様、印象的な横移動もあり、音楽もいい。DVDを出してほしい。モスクワを舞台にしたソ連映画を観ていつも思うのは、街のたたずまいといい、登場人物の考えていることといい、西側とか東側とかいう以前に、どうしようもなくヨーロッパであるということだ。『夕立ち』も観たいなぁと思いながら劇場を出ると夕立ちだった。気象予報士のまかべーに騙されて傘をもっていなかったので、東京駅へ行くのは諦めて京橋から帰る。

この特集は上述したように「ロシア・ソビエト映画祭」で、8月はじめには三百人劇場で「ソビエト映画回顧展06」も開催される。観たいと思う映画はあるのだが、「絶対行かなきゃ」というのはないので、ほとんど行かずに終わりそうだ。私が観たいのは(再見ばかりだが)、カネフスキーの『ひとりで生きる』(このタイトルを見ると‘在你的世界裡、我一個人住♪’と歌ってしまう)と、2002年の東京フィルメックスで上映された2本のソ連映画、上述の『夕立ち』と『再生の街』(ウラジミル・ヴェンゲロフ)。この2本はめちゃくちゃよかったのだけれど、もう日本にフィルムがないのだろうか。

次の特集、「日活アクション映画の世界」のチラシも手に入れた。チラシは2週間くらい前にできたようだが、フィルムセンターのサイトにはいまだに詳細が掲載されていない。たしかに、フィルムセンターの観客の中心は、常連のじいさん、ばあさんである。彼らは毎日のように来るのだし、インターネットを利用していない人も多いだろうから、チラシに重点を置くのは戦略として間違ってはいない。でもね…。印刷には時間がかかるが(今はそんなにかからないのかもしれないが)、サイトに掲載するのは一瞬である。チラシの原稿は電子版だろうし、その段階では解説もついているから、単なるラインナップやスケジュールはもっと前に決まっているはずだ。最初から完成形になっていたり、見た目がきれいだったりする必要は全くない。常連さんのようにたくさんは通えなくても(でも一般料金払ってますから)、一日も早くスケジュールを知りたい客はたくさんいる。すぐに情報を出せていつでも更新できることが電子メディアのメリットのはずだ。「公式サイト」というものがあってあたりまえのようになって久しいが、いまだに印刷メディアより遅いのがあたりまえなのはどういうわけなのか(いうまでもなくフィルムセンターに限らない)。サイト管理者、作成者の意識の変革を切に望む。