『越境するポピュラー文化と<想像のアジア>』読了。
- 作者: 土佐昌樹,青柳寛,ブライアン・モーラン
- 出版社/メーカー: めこん
- 発売日: 2005/11
- メディア: 単行本
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この本の内容とそれなりに関連することで、私が最近興味をもっているのは、ブームの通時的なつながりや継承についてだ。上述の『映画が国境を越えるとき』では、1960年代前半の尤敏(ユーミン)ブーム、成龍(ジャッキー・チェン)や李小龍(ブルース・リー)のブーム、1980年代後半から1990年代前半にかけての香港映画ブームに触れたあと、次のように書かれている。
このように日本人がアジアのスターを受容した過去の歴史は、韓流ブームが語られる時に言及されることはまずない。確かに対象国が香港と韓国という違いはあるのだが、我々のような以前からのアジア映画ファンにとっては、アジアのスターへの熱狂ぶりは最近始まったものだ、という扱いには釈然としないものが残る。(p. 133)
全く同感である。単に「過去にもあった」というだけでなく、それらのブームはどこかで繋がっている。たとえば上述の香港映画ブーム、1990年代はじめから1997年の香港返還にかけてのアジアブーム、1990年代末からの韓国映画ブーム、最近の韓流、その後の台流・華流は、全くの別物ではなく、これらのブームを担っている人も一部は共通している。どの部分がどのように繋がっていて、どの部分がどう違うのか、そして前のブームが後のブームにどのように影響しているのか。それが私の知りたいことである。
これに対して、最後の論文『「韓流」はアジアの地平に向かって流れる』(土佐昌樹)では、韓国で日本のポピュラー文化の段階的開放が始まった1998年を境にして、日本で韓国映画やK-popの人気が定着し、「日本における韓国文化の存在感はごく身近なものになろうとしていた」ことを紹介した後、次のように書いている。
中国や東南アジアにおけるブームほど熱狂的なものではなかったが、内容的には90年代後半からここまでの流れの方が韓流に近いと言える。2003年に表面化したブームは、これまでの系譜と連続する面もあるが、実はまったく新しい現象だと捉えたほうがいいのである。(p. 206)
私は特に韓国映画が好きなわけではないが、比較的多く観ている。その中で、イ・ビョンホンが出ている『バンジージャンプする』(asin:B0009UZ4U2)と、ペ・ヨンジュンが出ている『四月の雪』(asin:B000BN9ACU)だけ、明らかに客層も雰囲気も異質だった(他の韓国映画と比べて、というより、どんな映画であれ、映画館で映画を観る人々一般と比べても激しく異質だった)。だから「まったく新しい現象」というのはたしかに納得できる。でもそれは、ブームがある程度大きくなったあとに、韓流にはまった人が多かったということではないだろうか。ブームのきっかけとなった『冬のソナタ』のNHK衛星での放映を可能にしたのは、それ以前の韓国ブーム、アジアブームだったはずだ。私としては、「なぜ『冬のソナタ』が爆発的人気を呼んだのか」よりも、「どういった経緯で『冬のソナタ』が放映されるに至ったのか」のほうに興味がある。ぜひともどなたか、そのあたりのところを研究してほしいものである(韓流の例は本とのつながりで挙げたまでで、私としてはアジアブームと台流・華流とのつながりのほうが興味がある)。
話は変わるが、『台湾のスポーツにみる文化の交錯』(清水麗)に、(1970年代以降は適切ではないということだが)「野球をやるのは本省人、バスケットボールをやるのは外省人」というのがあった(p. 143)。言われてみればなるほどと思うが、これまで全く気にしていなかった。『[牛古]嶺街少年殺人事件』にバスケットボールが出てくるのはそういう文脈なのだな、と納得。一方、野球は『風櫃の少年』(ASIN:B0007LXPJ0)に登場している。