実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『学生と読む『三四郎』』(石原千秋)

『学生と読む『三四郎』』読了(本当は「読み終わる」と書きたいが、「読了」だとキーワードになるので、「意味あるのかなぁ」と訝りつつも「読了」にしておく)。

学生と読む『三四郎』 (新潮選書)

学生と読む『三四郎』 (新潮選書)

三四郎』が課題の、成城大学の国文学科「近代国文学演習I」の一年間の記録。この本を買ったのは、『三四郎』が好きだからという理由である。しかし『三四郎』やテクスト論そのものの話よりも、大学や教員や学生や授業をめぐるいろんな話がとてもおもしろかった。「実録石原組」とか「実録 成城大学国文学科」とかいった感じ。

こういうのを読むと、どうしても自分の学生時代と比較してしまうが、とにかく何から何まで違っている。まず最初に、最近の大学生は教室でよく勉強するという話があって、教室の中でも外でもあまり勉強しなかった(ただし「作業」はそれなりにした)私としては腰を抜かしそうになった。文系と理系の違いや大学の規模の違いもあるので、時間的なずれだけが原因ではないとは思うが、「真面目だが幼い」といった印象は最近の新入社員にも感じることなので、おそらく全体的にそういった傾向があるのだろう(「最近の新入社員は新人研修で寝ない」と聞いたときも腰を抜かしそうになった)。

大学二年生でこれだけ濃い授業を受けられる学生はかなり羨ましい。でも、近代国文学演習の授業なら受けてみたいが、当時私が受けた授業をもっと真面目に受けておけばよかったとは正直言って思わない。文系の授業はかなり研究に直結しているように見受けられ、その点でも羨ましいと思う。工学系の場合、三年生が終わった時点で、研究とはどういうものなのか全く知らないし、これから自分が取り組む研究テーマに直接関連する知識も皆無だ(学科や専門によって異なるとは思うが)。もう少し研究につながるような内容だったら、三年生までの授業ももっと楽しいし、身につくものも多いのではないか。カリキュラムを作る人は「工学部出身として最低限知っておくべきこと」だと思って決めているのだろうが、実際にそれを理解して身につけている人は一割くらいしかいないのだから意味がない(電子回路とか知らなくても一生困らない(よね?)、ドクターだってとれる)。