実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ノモンハンの戦い』(シーシキン、シーモノフ)

ノモンハンの戦い』を読み終わる。

ノモンハンの戦い (岩波現代文庫)

ノモンハンの戦い (岩波現代文庫)

ノモンハン戦争(日本では一般に「ノモンハン事件」と呼ばれているが、あまりにも違和感があるのでこう呼ぶ)には以前から興味があったが、まとまって書かれた本は読んだことがなかった。数年前、アルヴィン・D・クックスの『ノモンハン(1) ハルハ河畔の小競り合い』(ISBN:4022610018)を読み始めたものの、少し読んでそのままになっている。これは別につまらなかったからというわけではない。私にとって文庫本は、重い本を持ち歩きたくない日になんとなく読み始めるもので、一日だけ読んでそのままになってしまうことが多い。そんななか、この『ノモンハンの戦い』という本が出版された。一冊にまとまっていて、しかも田中克彦先生の編訳である。これは買わないわけにはいかない。

私がノモンハン戦争に興味をもったのには、主に三つの理由がある。

  1. 満洲に関わる歴史に興味があること。
  2. 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』(ISBN:4101001421)に出てくること。
  3. 私の伯父さん(母の兄)がノモンハン戦争に従軍していること。彼はこの戦争で生き残ったものの、帰国する船の中で病気にかかり、帰ってから亡くなったらしい(戦病死)。ノモンハン戦争の前は哈爾浜に駐屯していたということである。

時間的にいえば(3)(2)(1)の順なのだが、(3)や(2)やそのほかのいろいろなこと(『私の鶯』(島津保次郎)とか)がきっかけとなって旧満洲に興味をもち、本を読んだり旧満洲を訪ねたりするなかで、会ったこともない伯父さんのことや、彼が戦ったノモンハン戦争のことがあらためて気になり出してきた。

ノモンハンの戦い』には、S. N. シーシキン大佐による論文『一九三九年のハルハ河畔における赤軍の戦闘行動』と、従軍した作家、コンスタンチン・シーモノフによる『ハルハ河の回想』の二篇が収められている。『一九三九年のハルハ河畔における赤軍の戦闘行動』はソ連赤軍向けに書かれたもので、論文なので特におもしろいものではないが、戦争の経過や戦場の地形など、この戦争の概略がよく把握できる。

『ハルハ河の回想』は、詩人として従軍したシーモノフの回想録で、これはなかなかおもしろかった。彼が戦場へ行ったのはソ連の勝利が決定的になってからなので、戦争の描写はほとんどない。主に書かれているのは、停戦後のソ連軍と日本軍との交渉、日本兵の屍体の掘り出し作業、捕虜の交換についてである。ソ連軍と日本軍との交渉では、三日間のほとんどが日本兵の屍体の引き渡しに関する話し合いに費やされたらしい。ソ連軍に包囲された日本兵が、戦闘のさなかに仲間の屍体を埋めてその地図を作っていたこと、膨大な死者数が日本のマスコミにもれることを恐れ、日本側が屍体の数をなかなか言わなかったこと、モンゴル領内での屍体の掘り出し作業を誰がやるのか、屍体と共に出てきた武器や遺品を持ち帰っていいのかどうかといったことでもめたことなどが書かれていて興味深い。屍体の掘り出し作業については、最初は丁寧だった日本兵の作業がだんだん変化していったこと、あまりの屍体の多さと腐敗のひどさに、十日間で作業を打ち切ってしまったことなどが書かれていて、こちらも興味深かった。

両方読むと、異なる視点からこの戦争の熾烈さがよくわかるが、それにひきかえあまりにも得るもののない戦争であり、何ともいえない虚しい気分になる。私は時々、戦場で死んだ人と、帰って死んだ伯父さんとどっちがマシだったのかと考える。家へ帰れて家族にも会えたのだからマシだったともいえるが、生き延びたと思ったらぬか喜びだった、というのはあまりにも運が悪い。前線に出たのかどうかは知らないが、過酷な戦争をして、屍体の掘り出しなどもした挙げ句に死んだとしたら、さっさと戦場で死んだほうがマシだったのではないかという気がする。

この本は、本文以上に田中克彦氏によるまえがきとあとがきがおもしろい。中心となるのは、「ノモンハーン」とは何かに始まる、地名に関する言語学的説明や考察である。そのほかに印象に残った部分を挙げておきたい。

 このような流れの中で、日本としてはどうしてもやっておかねばならない基本作業がある。それは、ノモンハン戦争についての、ソ・モ側の基本文献を、誰にでも読めるようにしておくことである。そうしないと、あらゆる研究、あらゆる創作活動は、日本人だけのうちわ話になってしまい、世界史的な意味を持ち得ないからである。(p. x)

 ノモンハン戦争をめぐるいくつかの国際シンポジウムに参加した私のおどろきは、軍事研究の専門家 - とりわけ日本側のそのような人たちが、ソ・モ側と日本側(なぜか満洲軍の犠牲を問題にした人はほとんどいない)の損耗の数字を増やしたり減らしたりすることに注ぐ多大の情熱である。
《中略》
 とにかく負けたにせよ、あるいは負けたがゆえに、ソ連に与えた損害は多大だったと言いたいから、日本の戦史家はソ連のあげた数字が誇大であることを実証的に明らかにしようとする。ノモンハン戦争を議論するための集会に参加する日本人は、せっかくの機会の大半を、この損耗の問題に捧げてしまうのは残念なような気がする。(pp. 185-187)

まったくそのとおりだと思う。