実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『単騎、千里を走る。(千里走單騎)』(張藝謀)

張藝謀(チャン・イーモウ)監督、高倉健主演の『単騎、千里を走る。』を観にマリオンへ行く。ふだん行く劇場はほとんどミニシアターなので、こういうところは勝手がよくわからない。前回来たとき、一階窓口で前売り券を入場券に引き換えてもらったので、今回も一階の窓口に並んだ。かなり混んでいて、5分以上並んで窓口に近づくと、「当日券専用」と書いてあるのが目に入った。前売り券は上の劇場まで引き換えてもらいに行かないといけないらしい。そういうことはもっとわかるように大きく書いておいてほしい。劇場に行ってみると、引き換えだけではなく当日券も買えるようだった。女子高生みたいに「ワケわかんな〜い」と叫びたい気分。

映画は、「こんなベタな映画撮っていいの?、張藝謀」というのが第一の感想。非常に説明過多な映画である。突然中国へ赴き、予定をどんどん変更して、刑務所に行ったり、仮面劇役者の子供を迎えに行ったりする健さんは、『秋菊の物語』『あの子を探して』『初恋のきた道』のがむしゃらに行動する主人公を踏襲してはいる。だけど、ひと言も中国語ができず土地勘もないうえに、政府機関の許可が必要だったり交通が不便だったりするために、健さんの行動はすべて通訳やガイドに頼らざるを得ない。だから、健さんが行動する前にまずそれが言葉で説明されてしまうし、突き進んでいるシーンよりも待っているシーンが多い。言葉が通じなくてもわかりあえるという状況があっても、なぜかそのあとで説明を求めたり言葉で確認したりする。しかもご丁寧に健さんのモノローグまであって、心情さえも言葉で語られてしまう。

だいたいこの映画は、物語の展開に直接寄与するようなシーンが多く、何気ない日常の光景みたいなものがほとんどない。だから、登場人物がどういう人なのか、なぜそう決めたのか、そういうところに説得力がない。全体がダイジェストみたいで、物語の展開も唐突に感じられるし、余韻みたいなものがない。健さんが過去に中国と関わりがあり、多少なりとも中国語ができるという設定であれば、突然中国へ行くのも不自然ではないし、もう少し何とかなったんじゃないかと思う。年齢的には中国生まれといった設定にすることも可能だったと思うが、無用な論争や批判を呼ぶ可能性は避けたかったのだろうか。

健さんのアイドル映画」といった評判も聞くが、私はあまりそうは感じなかった。張藝謀が好きなのは仁侠映画健さんではないので、それを期待してはいけないと肝に銘じていたが、どうしても期待してしまう。息子の嫁が寺島しのぶというのにまず期待するが、別に何もない(しかも台詞がかなり不自然だ)。着流しで登場もしないし、背中の唐獅子牡丹も見せてくれないし、殴り込みにも行かないし、健さんの歌う主題歌も流れない。やはりつまらない。アイドル映画だというなら、最後に「単騎、千里を走る」を観たあと、「お礼に日本の歌を歌います」と言って『網走番外地』の替え歌の『雲南番外地』を歌うとかすればいいのに。

健さんは張藝謀の映画に出るのもいいが(オファーがあったという『HERO』に出て、アクションをやってほしかった)、できるうちに小林旭と共演の(もちろん主役で)映画を撮ってほしい(ないですよね?)。監督は侯孝賢(ホウ・シャオシェン)か呉宇森(ジョン・ウー)で。彼らは絶対撮りたいと思うんだけれど。