バンガロールに来ちゃったの

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2010年08月17日のつぶやき

『第三の男(The Third Man)』(Carol Reed)[C1949-17]

昨夜、実家から自宅に戻ったばかりだが、朝から出かける。行き先は、TOHOシネマズららぽーと横浜というはじめて行く映画館。全国のTOHOシネマズでかなり前からやっている「午前十時の映画祭」(公式)にはじめて参加。「何度観てもすごい50本」というキャッチコピーで、この時点で劇場で観ているのはちょうど半分の25本だが、何度観てもすごい映画なんて『ワイルドバンチ[C1969-19]しか入っていない。

今日観たのは、キャロル・リード監督の『第三の男』。

これは、黄金周のオーストリア旅行の前にDVDで観ていて、基本的な感想はそのとき(id:xiaogang:20100117#2)と変わらない。

実際にウィーンを見てきたことと、大きなスクリーンで観たことで、(安DVDとは違って)細部がけっこうよくわかった。それだけになおさら、もっとじっくりと廃墟のウィーンを写してほしかったと思う。今回の旅行では、残念ながらこの映画のロケ地にはあまり行けなかったが、けっこうつぎはぎで撮られている。モノクロ画像はスクリーンで観るとなおのこと美しいが、実際の地形を生かしていないことが、忙しないショットや、ナマナマしい時代の空気を欠いていることにつながっていると思う。

オーソン・ウェルズの登場のしかたは、やはり毎度毎度丹波哲郎を連想させたが、考えてみたら『東京ギャング対香港ギャング』[C1964-21]でのタンバの登場シーンは、実際に『第三の男』を意識したものだったのではないだろうか。『第三の男』の終盤の下水道のシーンは、『殺人容疑者[C1952-19]を連想させるが、こちらもタンバ。『殺人容疑者』は、焼け跡の雰囲気の残る東京での魅力的なロケを見ても、おそらく『第三の男』を意識した企画であったにちがいない。

出演者では、アリダ・ヴァリが美しかった(時々ニューハーフっぽく見えなくもないが)。主人公のジョセフ・コットンに魅力がないのが残念。

日本語字幕がちゃんとしていて、うちのDVDでは見たこともない台詞も多数あり、情報量が増えて満足した。やはりあやしげな廉価版など買うものではないということがよくわかった。

『田舎町の春(小城之春)』(費穆)[C1948-15]

ららぽーと横浜で適当に昼ごはんを食べて、無印良品でお買い物して、はるばる藤沢へ移動。ハローワークへ行って、無印良品でお買い物して、またはるばる有楽町へ移動。Meal MUJIで晩ごはんを食べてフィルムセンターへ。「フィルム・コレクションに見るNFCの40年」(公式)で、費穆(フェイ・ムー)監督の『田舎町の春』を観る。今回の帰宅の第一目的。

この映画にとって不幸なのは、2002年の田壯壯(ティエン・チュアンチュアン)によるリメイク版、『春の惑い』がすばらしすぎたということである。自殺のくだりが多少異なるほかはストーリーはほとんど同じで、『春の惑い』はかなり忠実にリメイクされているように思われる。『田舎町の春』のモノクロ映像は、路地のたたずまいなどそれはそれで美しい。しかし、李屏賓(リー・ピンビン)のたゆたうキャメラが描きだす、登場人物の心のゆれと暖かな春の空気とがない混ぜになった映像にはやはり及ばない。

春の惑い [DVD]

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玉紋、礼言、志忱の三人の心理の動きが息をのむようなスリルで描かれているのは、チラシに書かれているとおりだが、いちばん物足りなく感じたのは、当然そこにあるはずの官能の匂いみたいなものが感じられないことだ。たしかに玉紋はだんだんクネクネして艶っぽくなっていくが、香港おばさんみたいなルックスのせいもあって、あまり官能的には感じられない。まあ1948年の映画なのだから、しかたがない面はあると思うけれども。

主役の三人が、それほど美男美女でもなく、かなり地味な感じなのはオリジナルもリメイクも同じ。ただし上にも少しふれたように、ヒロインの玉紋はオリジナルの韋偉はあまり好みではなく、リメイクの胡靖釩はけっこう好きなので、そこがけっこう印象を分ける。思うに、もう少し美男美女で撮ったほうがリアリティがあると思う。現実にありそうという意味でのリアリティではなく、映画のなかのお話を納得させるという意味でのリアリティ。

オリジナルとリメイクの大きな違いとしては、オリジナルには玉紋のモノローグがある。これが彼女の心理をはっきりと規定してしまっているのも、オリジナルの物足りない点。モノローグにある情報は、リメイクでは台詞に取り入れられたりしているけれども、台詞はモノローグと違って本心あるいは事実とは限らないので、そこから読み取り得るヒロインの心理は重層的になり、葛藤の内容に厚みがでる。リメイクでは、夫の礼言も悪い人ではなく、かつて二人のあいだにはそれなりに愛情もあり、玉紋はそれゆえに苦悩するという面もあるように思われた。しかしオリジナルでは、玉紋は非常に不幸で夫への情愛もなく、こんな生活から一刻も早く抜けだしたいと考えている。そうなると、彼女の葛藤は、貞節とか、いったん結婚したら添い遂げなければならないとか、病気の夫を見捨てるなんて非人情だとかいった、封建的なモラルに基づくものになってしまって興ざめである。全体にオリジナル版には「だんなさんかわいそう」感が欠如しているため、勝手に精神的な要因の病気にかかり、長いあいだ寝室を分けている夫を捨てて、昔から好きだった人と一緒になることに、なんら道義的な問題を感じない。

もうひとつオリジナルとリメイクの大きな違いは、オリジナルには戦争(日中戦争)の傷痕が、かなり濃厚に描かれていること。玉紋のモノローグのなかで、礼言の病いは戦争による打撃に基づくものとされているし、ロケ地の城壁や屋敷の荒廃は、本物の戦争の傷痕と思われ、生々しい。これは同時代の映画だけが描くことのできたものである。